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敬愛する兄姉へ シャローム

明けましておめでとうございます。
今日の御言葉
 見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、
あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、
さばくに川を流れさせる。野の獣はわたしをあがめ、
山犬および、だちょうもわたしをあがめる。わたしが荒野に
水をいだし、さばくに川を流れさせて、わたしの選んだ民に
飲ませるからだ。この民は、わが誉を述べさせるために
わたしが自分のために造ったものである。
(イザヤ43:19-21)

 21節の御言葉を新改訳は、「わたしのために造ったこの民は
わたしの栄誉を宣べ伝えよう」と訳し、新共同訳は、「わたしは
この民をわたしのために造った。彼らはわたしの栄誉を語らねば
ならない」と訳しました。災をも支配される神様は、それ以上に
祝福の神様です。神様は、無意味に災をくだす方では、ありませ
ん。災を災のままで決して終わらせないということです。このこと
をとおして人々の心に主に対する恐れの念を生じさせ、主の偉
大な御業を拝する備えをして下さるのです。そして、主のその偉
大な御業を拝する時に、私たちは全能の主をあがめ、主のほまれ、
主の栄誉を語らずにはおれなくなるのです。新しい年、主が素晴
らしい偉大な御業をあらわして下さることを心から期待して参り
ましょう。
 IT委員 椙森
2005/1/1 送信済み




敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、
あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、
その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
(詩篇1:1-3)

 3節の御言葉を新改訳は、「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」、
新共同訳では、「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば
実を結び葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもた
らす」と訳しました。なんと素晴らしい約束でしょうか。しかし、このような
祝福をいただくための条件が、前の節に記されていることです。「まことに、
その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」。私たちも
日々、主のおしえをよろこび、昼も夜もそのおきてを思い、そのおしえを口
ずさむものでありたいと願います。
 IT委員 椙森
2005/1/6 送信済み

敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、
あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、
望みにあふれさせて下さるように。
(ローマ15:13)

 新共同訳は、上の御言葉を「希望の源である神が、信仰によって
得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力に
よって希望に満ちあふれさせてくださるように」と訳しました。
私たちの信じる神様は、「望みの神」であり、また、「希望の源で
ある神」であることを感謝しましょう。この神様にいつも目を向け、
寄り頼む時に、神様は私たち一人一人を喜びと平安で満たして下さる
ばかりでなく、聖霊の力によって、私たちを希望に満ちあふれさせて
下さるのです。
 IT委員 椙森
2005/1/7 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、
わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも
将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他
どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける
神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。
(ローマ8:37-39)

「これらすべての事において勝ち得て余りがある」の「これら」
とはいったい何なのか。使徒パウロは、たとえばこれらのものです、
と例を挙げて説明しています、「患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、
裸か、危難か、剣か」。しかし、パウロは、「私たちは、私たちを
愛してくださった方によって、すなわち、神様の愛によって、これら
すべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」と宣言
しているのです。そして、その同じ神様の愛、キリストの愛が私たち
にも強く迫ってきて、私たちを取り囲んでいるのです。
 IT委員 椙森  
2005/1/8 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。
あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、
恐れてはならない、おののいてはならない」。
(ヨシュア記1:9)

「恐れてはならない」という言葉(原語)が聖書の中を丁寧に調べ
ると、365回出てくるという話を聞いたことがあります。しかも、
閏年に数えると何と366回も出てくるそうな?!いずれにせよ、
人間は、自分の前にゴリアテのような巨人・問題が立ちはだかると
すぐに「恐れ」を感じるものです。しかし、主は、そんな弱い私た
ちに、「恐れてはならない、おののいてはならない。強く、また
雄々しくあれ」と語っているのです。その激励の唯一の拠(よりど
ころ)は、全知全能の神、主が私たちと共におられるということで
す。だから、安心して下さい。
 IT委員 椙森
2005/1/11 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない
事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。
(ヘブル11:1-2)

 私たちはしばしば、「信仰によって」という言葉を使いますが、果た   
してどれだけ、「信仰」という言葉の意味を理解しているのでしょうか。  
聖書の他の箇所には、「見えるものに対する希望は希望ではありません。  
現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に   
見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです(ロマ8:24-25)」
とあります。この新しい年、私たちは「信仰と希望」をもって、まだ   
見たこともないような、大いなる主の御業、輝かしい夜明けを期待しつつ、
祈りつづけ、その大いなる御業を現実のものとして拝する年とさせていた
だきたいと思います。
 IT委員 椙森
2005/1/12 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。
(コロサイ4:2)

 とても短い一節ですが、今日一日、この御言葉を覚え、
これを実践する日となりますように。
 IT委員 椙森
2005/1/13 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、
身を慎んで、努めて祈りなさい。何よりもまず、互の
愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。
(Tペテロ4:7-8)

 今日も短い御言葉ですが、ただ聞くだけの者ではなく、
御言葉を行う人とならせていただきましょう。
 IT委員 椙森
2005/1/14 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、また
わたしを信じなさい。・・・わたしは平安をあなたがたに
残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。
わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。
あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
(ヨハネ14:1,27)

 イエス様が、この世を去り、父のもとに帰られる時、私たちに
残して下さったもので最も大きなものの一つ、それは「平安」です。
主イエス・キリストは、これから自分の身にふりかかろうとする
「パッション(受難)」を良く承知の上で、「わたしの平安をあなた
がたに与えます」と宣言されたのです。そして、その「平安」の
根拠は、イエス様ご自身が、私たち一人一人のために、父の家に
永遠の住まいを用意して下さり、私たちがやがて主と共に
「震われない国」において、「小羊の婚宴」に招かれるという
確かな事実に基づいたものであったのです。
 IT委員 椙森
2005/1/18 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのない
もの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだ
ことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださった
ものは、みなそうである。」神はこれを、御霊によって私たちに
啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで
及ばれるからです。
(Tコリント2:9-10新改訳)

 聖書は言います、「神を愛する者のために、神の備えてくださった
ものは、みなそうである」と。すなわち、神様が私たちのために用意
して下さっている良いものはみな、私たちが今までに、この目で見た
ことのないもの、耳で聞いたことのないもの、そして、人の心に思い
浮びもしなかったようなものだというのです。主は、わたしたちが求
めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さること
ができるおかたなのです。このかたに、私たちは期待し、私たちの
すべてを聖霊さまに明け渡し、聖霊さまを歓迎して参りましょう。
 IT委員 椙森
2005/1/19 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。
あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの
老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。
その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注ぐ。
(ヨエル2:28-29)

 預言者ヨエルがいつ、この御言葉を語ったのか定かではありません。
ある神学者によると、紀元前9世紀ごろではないかとも言われています。
しかし、主イエス・キリストが十字架につけられた後、あのペンテコス
テの日に、「突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、
一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった(使徒2:2)」ことによって、
この御言葉は、突然、現実のこととして成就したのでした。しかし、
それは、イスラエルを中心とした「前の雨」にすぎなかったのです。
神様は、主イエス・キリストの再臨の前に、「後の雨」、すなわち、
全世界的な規模での聖霊の傾注を預言しておられ、そして、それは、
目を見張るような驚くべき魂の大収穫を意味するものなのです。
 IT委員 椙森
2005/1/20 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは必ず
恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
(詩篇23:5-6)

 イスラエルの歌人、ダビデの賛歌の後半部分です。自分の舅
(しゅうと)、また、自分の息子にさえ、命を狙われたことのある
ダビデは何度、孤独を味わったことでしょう。しかし、その彼が、
「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしの
こうべに油をそそがれる」と告白しているのは、彼が人ではなく、
主なる神様を自分の牧者、また、羊飼いとして信頼しきっていた
ことの証です。そればかりではなく、「私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を
追って来るでしょう(新改訳)」と彼は告白して、否まなかった
のです。
 IT委員 椙森
2005/1/21 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、
ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたの
よく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、
同じような苦しみの数々に会っているのである。
(Tペテロ5:8-9)

「この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい」とペテロは
言い、ヤコブは、「悪魔に立ちむかいなさい」と言いました。愛する兄弟
姉妹、悪魔は存在します。そして、私たちを滅ぼそうと狙っているのです。
私たちはいたずらに悪魔を恐れる必要はありませんが、油断していると、
悪魔に足をすくわれてしまうでしょう。聖書は、私たちに信仰にかたく
立ち、神様に信頼し、神様に従うことによって、「悪魔に立ちむかいなさ
い」と教えています。そして、聖書はさらに言います、「そうすれば、彼
(悪魔)はあなたがたから逃げ去るであろう(ヤコブ4:7)」と。
 IT委員 椙森
2005/1/22 送信済み






敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。
愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、
神から生れた者であって、神を知っている。     
愛さない者は、神を知らない。神は愛である。    
(Tヨハネ4:7-8)

「神様なんか、いない!」というノン・クリスチャンに対して、
私たちはどのように、神様が生きておられるということを証しできるで
しょうか。まず、イエス様の十字架の血潮によって救われた私たちクリ
スチャンが、互いに愛し合うことです。そして、まだ、イエス様を信じ
ていない方々をも神様は愛し、その人のためにも、イエス様が十字架に
つけられたということを覚え、その人に私たちが愛を注ぎつづけること
です。そして、それは、私たち自身がイエス様の愛のうちにとどまり、
私たちのうちにおられる聖霊さまにすべてを明け渡していく時において
のみ、できることなのです。                   
 IT委員 椙森
2005/1/25 送信済み



敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神の
さまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立て
るべきである。語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、
奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべき
である。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、
神があがめられるためである。栄光と力とが世々限りなく、
彼にあるように、アァメン。
(Tペテロ4:10-11) 

 神様は、私たちひとりひとりにそれぞれ異なった賜物、タラントを
与えて下さっています。その与えられた賜物、タラントを神様の栄光
のために、また、教会全体の益となるように、それを積極的に用いる
ことを聖書は勧めています。「好きこそ物の上手なれ」という日本の諺
(ことわざ)がありますが、あなたが好きだと思っていること、それは、
神様から与えられた賜物では、ありませんか。それを神様の栄光のため
に、人々にただ一人の救い主イエス様を伝えるために、もっともっと
用いてみませんか。    
 IT委員 椙森
2005/1/26 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられる
ためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹にな
られた。すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であ
るなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。
イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、
神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
(マタイ4:1-4)

 イエス様は、私たちの同じ肉体をもった「人の子」として、この
地を歩まれました。そのイエス様が、「四十日四十夜、断食をし、
そののち空腹になられた」とあります。四十日四十夜、断食をし、
空腹になられたイエス様は、どれだけパンをもって自分の空腹を満たし
たいと願ったことでしょう。しかし、イエス様は、それ以上に、ご自分
には、「神の口から出る一つ一つの言」が必要であるということを告白し、
そして、そのことを神様ご自身のかたちに似せて創造された私たちひとり
ひとりに教えたかったのです。
 IT委員 椙森
2005/1/27 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 さて、イエスがカペナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長が
みもとにきて訴えて言った、「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦し
んで、家に寝ています」。イエスは彼に、「わたしが行ってなおして
あげよう」と言われた。そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わた
しの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。
ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。
(マタイ8:5-8)

「イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない」とイエス様が、
この百卒長の言葉を聞いて非常に感心されたということをみなさんは、よく
ご存知です。私たちの周りには、「ことば」が氾濫しています。大切なことは、
どの「言葉」、だれの「言葉」に信頼するか、です。この百卒長は、イエス様
の「お言葉」こそ、すべての支配、権威、権力、権勢にまさる最高の権威で
あることを認め、自分と自分の家族、また、自分の僕達をも、その「お言葉」
に完全にゆだねきっていたのです。まさに、この百卒長は、主イエス・キリ
ストこそ、「言は神であった(ヨハネ1:1)」とあかしされた、「神」ご自身で
あることを理解し、信じていたのです。
 IT委員 椙森
2005/1/28 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 ひとりのらい病人が、イエスのところに願いにきて、ひざまず
いて言った、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、
「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。
すると、らい病が直ちに去って、その人はきよくなった。
(マルコ1:40-42)

 当時、「らい病(ツァラアト)」は、恐ろしい伝染病であり、また、
汚れた病、不治の病でした。ですから、この病気にかかった人は、
自分が「らい病」であるということを人々に明らかにし、また、隔離
されなければならなかったのです。しかし、イエス様は、このらい病
人に自ら近づき、彼を深くあわれみ、「手を伸ばして」彼にさわられた
のです。そして、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言って、彼を
完全に癒して下さいました。私たちも、イエス様のこの「あわれみの
こころ」をいただき、イエス様のように、行動するものと変えられた
いのです。事実、イエス様は、弟子達にも「らい病人をきよめてやり
なさい(マタイ10:8)」と命じられたのでした。
 IT委員 椙森
2005/1/25 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。
山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。
(雅歌2:12)

 本日より、日本ペンテコステ親交会主催の研修会が開かれます。
今回のテーマは、「新しい季節の到来」で、主題聖句は、上の御言葉です。
椙森もこの研修会に参加しますので、誠に勝手ながら、土曜日まで、この
「御言葉の配信」は、お休みさせていただきます。それにしても、今朝は、
教会の周りも、薄ら雪化粧をしているというのに、「地には花が咲き乱れ、
歌の季節がやって来た」とは、いったいどんな研修会になるのか、今から
楽しみです。みなさんのうちにも、「新しい季節、祝福の季節、開花の季節、
実りの季節、収穫の季節」が訪れますように、お祈りします。
 IT委員 椙森
2005/2/1 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。(新改訳)    
熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、(口語訳)    
怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。(新共同訳)    
(ローマ12:11)

 4日間の研修会を終えて、昨日帰って参りました。沢山の
恵みをいただき、また、多くのことを学ばせていただきました。
その中で教えられたことの一つが上の御言葉です。バプテスマの
ヨハネは、イエス様を「聖霊と火とによっておまえたちにバプテ
スマをお授けになるお方(マタイ3:11、ルカ3:16)」として、紹介
しました。私たちは、イエス様から「パッション(魂に対する情熱)」
をいただき、そのパッションを聖霊の火によって燃やしつづけ、
私たち自身が霊に燃えて、主に仕えると同時に、また、私たちの
周りにいる人々をも、燃え立たせるような、「パッション・ライター
(Passion Lighter)」にならなければならないとチャレンジを受けた
のでした。
 IT委員 椙森
2005/2/5 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
(マタイ5:8)

 イエス様が山上の垂訓で語られた「八つの祝福」の中の一つです。
聖書は、「すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。
きよくならなければ、だれも主を見ることはできない(ヘブル12:14)」と
教えています。しかし、弱い私たちは自分の力で自分をきよくすることは
できません。ただ、イエス様の十字架の血潮によってのみ、きよめられ、
そして、日々、主との交わりを大切にし、御霊に導かれ、御霊に満たされ
つづけるときに、主は私たちをきよめてくださるのです。そして、
イエス様は、このように語って下さるのです、
 「わたしを見た者は、父を見たのである」と。
 IT委員 椙森
2005/2/8 送信済み  


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
(箴言3:5-6)

 私たち人間の知識には、限界があるということはだれしもが認める
ところです。しかし、主は「とこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい」とあり
ます。私たちは、この地の果の創造者なる主に寄り頼み、信頼する時に、
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安とその助けをいただく
ことができるのです。そして、この主に寄り頼む時に、主は私たちを
最善の道、み名のために正しい道へと導いて下さるのです。
 IT委員 椙森
2005/2/9 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 その時エシュア、バニ、カデミエル、シバニヤ、ブンニ、セレビヤ、
バニ、ケナニらはレビびとの台の上に立ち、大声をあげて、その神、主に
呼ばわった。それからまたエシュア、カデミエル、バニ、ハシャブニヤ、
セレビヤ、ホデヤ、セバニヤ、ペタヒヤなどのレビびとは言った、
「立ちあがって永遠から永遠にいますあなたがたの神、主をほめなさい。
あなたの尊いみ名はほむべきかな。これはすべての祝福とさんびを越える
ものです」。
(ネヘミヤ9:4-5)

 バビロン捕囚により崩れた城壁を建て直すために、イスラエルの人達は、
こころを合わせて協力し、様々な嫌がらせや反対勢力にもめげず、一致
団結して修復工事を完成させました。彼らはこの工事が、彼らの神の助けに
よって成就したことを悟った時に、彼らは大いなる神、主をほめ、民は皆
その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、
地にひれ伏して主を拝したのです。彼らは、自分の罪と先祖の不義とを
ざんげすると同時に、レビ人たちはこのように叫んだのです、「立ちあがっ
て永遠から永遠にいますあなたがたの神、主をほめなさい。あなたの尊い
み名はほむべきかな。これはすべての祝福とさんびを越えるものです」と。
 IT委員 椙森
2005/2/10 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 さてヨシュアは年が進んで老いたが、主は彼に言われた、
「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている。
(ヨシュア13:1)

 しばしば、人は年を重ねて老人になると、その気力も衰えるもので
す。しかし、主がヨシュアに語られた言葉は、私たちにとっても大きな
チャレンジです、「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお
多く残っている」と主は彼に語られたのでした。私たちもまた、あの
ヨシュアやカレブ、また、パウロのように、「私は、私を強くしてくだ
さる方によって、どんなことでもできるのです」と宣言していきたいの
です。なぜなら、たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々
新たにされていくのですから。
 IT委員 椙森
2005/2/12 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって
定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、
エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、
わたしの証人となるであろう」。
(使徒1:7-8)

 神様は、ここで私たちが知らなければならないこと、また、知る必要の
ないこともあると教えておられます。私たちは、神様の御計画の成就する
時期や場合を詮索(せんさく)する必要はありません。大切なことは、常に
聖霊さまの導きを求め、聖霊さまが語りかけ、働きかけられる時に、それに
敏感に、また、従順に応答する準備があるかどうか、です。そして、その
聖霊さまが働きかける時、それに従順するときに、神様は、私たちが思いも
しない方法で、イエス様の証人として、さらに豊かに用いて下さるのです。
 IT委員 椙森
2005/2/15 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて言われた、
「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の
中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる
悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。
あなたがたは、これらの事の証人である。
見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、
上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい」。
(ルカ24:45-49)

 クリスチャンとは、主イエス様が私たちの罪の身代わりに十字架で死んで
下さり、そして、三日目によみがえったことを信じ、このよみがえられた
イエス様を個人的な救い主として信じている人々です。言い換えれば、
私たちが洗礼を受けた時、私たちはすでに人々の前で、自分がキリストの
十字架と復活の証人であることをあかし始めたのです。しかし、神様は、
私たち一人一人がさらに多くの人々の前に、この福音の証人となることを
願っておられるのです。そして、そのための助け主が、聖霊さまであり、
父があなたがたに贈ると約束されたものなのです。
 IT委員 椙森
2005/2/16 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、
ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。
(ローマ1:16)

 私たちははたして、いったい、どれだけ私たちにゆだねられている
福音に力があることを理解しているのでしょうか。使徒パウロはここで、
人々の国籍にかかわらず、また、どのような環境や境遇の中で育ち、
また、どのような過去や宗教を持っていた人であっても、主イエス様の
福音を受け入れるなら必ず、「あなたもあなたの家族も救われます」と
宣言しているのです。
 IT委員 椙森


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもら
いたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、
あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえら
せたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。このイエスこそは
『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なので
ある。この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを
別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
(使徒4:10-12)

 ペテロとヨハネが生まれつき足のきかない男に対して主イエス・キリスト
の御名によって命じた時に、彼は完全にいやされ、踊りあがって立ち、歩き
出したのでした。そればかりではなく、このことをとおして、多くの人々の
前に、主イエス・キリストの福音を語る機会が与えられ、彼らは大胆にただ
一人の救い主・主イエス・キリストの十字架と復活を証ししたのでした。人
人はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、
ただの人たちであることを知って、不思議に思ったとあります。もはや、
使徒たちの伝道の勢いは、何によっても止めることができなくなっていた
のです。
 IT委員 椙森
2005/2/18 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 よくよくあなたがたに言っておく。
わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。
そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。
わたしが父のみもとに行くからである。
わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。
父が子によって栄光をお受けになるためである。
(ヨハネ14:12-13)

 この御言葉をみなさんは、何度もお聞きになったことと思います。
しかし、どれだけ、この御言葉を自分のものとして受け止め、
日々、この御言葉を真実なものとして体験しておられるでしょうか。
私たちは日々、イエス様が肉体をもってこの地上を歩まれた時に、
なされたそのみわざを思い起こし、主イエス様を信じる者には、もっと
大きなわざをする特権が与えられていることを感謝し、これを実践する
ものとならせて下さいと、大胆に主に求めていきたいと願います。
 IT委員 椙森


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。
男らしく、強くあってほしい。
いっさいのことを、愛をもって行いなさい。
(Tコリント16:13-14)

 13節を新共同訳は、「目を覚ましていなさい。信仰に
基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい」
と訳しました。神様は、私たち一人一人が自分に頼るのではなく、
「生ける神の子キリスト」に寄り頼み、その信仰告白の基に、
「雄々しく強く生きなさい」と教えているのです。そして、そうする
ことによって、みなさんお一人お一人が「それぞれ生ける石となって、
霊の家に築き上げられ、聖なる祭司(Tペテロ2:5)」となり、
主イエス・キリストによって、神様によろこばれる礼拝者と変えら
れていくのです。
 IT委員 椙森
2005/2/22 送信済み



敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう。
それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、
アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。
またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。
これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。
(詩篇133:1-3)

 私たちが聖霊さまの油そそぎを求める時、常に思い起こしたい御言葉です。
それは、主にある兄弟姉妹が和合して共にいること、心を合わせて一つになる
ことの素晴らしさです。聖霊さまはそのような調和(シンフォニー)をお喜び
になるのです。そして、その調和の中に、三位一体なる神様は、祝福ととこしえ
の命を与えずにはおれなくなるというのです。
 IT委員 椙森            
2005/2/23 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに
伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を
患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、
貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸い
である。」
(マタイ11:4-6新共同訳)
 
 バプテスマのヨハネは獄中でイエス様についてのうわさを伝え聞き、
はたして、イエス様がほんとうに「きたるべきかた」、すなわち、神様が
つかわされたメシヤなのかを知るために、自分の弟子たちをイエス様の
もとにつかわしました。それに対して、イエス様は「そのとおり、わた
しがメシヤである」と答えるかわりに、このように答えられたのでした、
「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は
見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の
聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らさ
れている。わたしにつまずかない人は幸いである」と。
 IT委員 椙森 
2005/2/24 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、
御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおい
やしになった。また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、
倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。
そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。
だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出す
ようにしてもらいなさい」。
(マタイ9:35-38)

 ここには、福音書におけるイエス様の公生涯、その働きが集約されて
います。イエス様の働きは大きく分けて、二つのことを見ることができます。
一つは、「御国の福音を伝えること(御言葉を教えること)」、そして、
もう一つ大切なことは、人々を肉体的な苦しみから解放してあげること、
すなわち、「すべての病をいやすこと」であったのです。そして、イエス様は
今も、信じる者をとおして、その働きを継続しておられるのです。なぜなら、
イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがないから
です。
 IT委員 椙森 
2005/2/25 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せら
れたので、彼らはみもとにきた。そこで十二人をお立てになった。
彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、
また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
(マルコ3:13-15)

 ここには、イエス様が使徒たちを選ばれた明確な三つの目的が、
記されています。まず、弟子たちをイエス様ご自身のそばに置くた
めであったということ。そして、さらに宣教につかわす、すなわち、
福音を宣べ伝えさせるためであったということ。そして、三つ目に
悪霊を追い出す権威を持たせるためであったということ、そして、
ここには、病気で苦しんでいる人々を解放する権威が含まれていた
ことが、後の弟子たちの働きを見て、理解することができるのです。
 IT委員 椙森 


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ
伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。
主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれ
ることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、
主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
(ルカ4:18-19)

 イエス様が生まれる約700年ほど前に預言者イザヤによって
記されたこの聖句は、イエス様がお育ちになったナザレの会堂で
朗読された「この日に成就した」と、イエス様は人々に説きはじ
められたのでした。しかし、このことに対する人々の反応は、様
様でした。特にこのナザレでは、イエス様を快く思わない人が多
かったようです。それに対して、イエス様は、「よく言っておく。
預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである」と答えられ
たのでした。
 IT委員 椙森 
2005/3/1 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、
天国ではだれがいちばん偉いのですか」。すると、イエスは幼な子を
呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、「よく聞きなさい。
心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることは
できないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、
天国でいちばん偉いのである。
(マタイ18:1-4)

「キリスト教は、難しい」と考える人が以外と多いようです。しかし、
主イエス様の教えは決して、難しいものではありません。イエス様は
ここでも、「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならな
ければ、天国にはいることはできない」と教えられたのです。言い換
えれば、難しい理屈を言わないで、神様の御言葉をそのまま、「素直に
受け入れなさい」と教えておられるのです。そして、神様の前ばかりでは
なく、人々の前でも自分を低くする者が、「天国でいちばん偉いのです」
と教えられたのです。
 IT委員 椙森 


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、
いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、
とびはねる。また、あなたがたは悪人を踏みつけ、わたしが事を行う日に、
彼らはあなたがたの足の裏の下にあって、灰のようになると、万軍の主は
言われる。
(マラキ4:2-3)
 
 これは、救い主・メシヤが来られる時の様子をマラキが預言したものです。
すなわち、ここでイエス様は、「義の太陽」として描かれ、また、この方の
「翼には、いやす力を備えている」と紹介されています。すなわち、イエス
様は、罪からの「救い主」であると同時に、あらゆる病からの「いやし主」
であることが預言されているのです。すべての病む人々は、メシヤが来られ
る時に、その病から解放され、「あなたがたは牛舎から出る子牛のように外
に出て、とびはねる」と表現されているのです。それは、あたかも、あの
「美しの門」でいやされた男が、踊りあがって立ち、歩き出し、そして、
歩き回ったり踊ったりして神様をさんびしたように。
 IT委員 椙森 
2005/3/3 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 あなたがたの神、主に仕えなければならない。そうすれば、
わたしはあなたがたのパンと水を祝し、あなたがたのうちから
病を除き去るであろう。
(出エジプト23:25)

 神様は、私たちがあらゆる面で神様からの祝福を受けることを
願っておられます。すなわち、私たちの魂が恵まれているように、
私たちがすべての面で恵まれ、健康であるようにと願っておられ
るのです。しかし、それ以上に、父なる神様は私たちと親しい交
わりを持ち、私たちが喜びとまごころをもって、主に仕えること
を願っておられるのです。
 IT委員 椙森 
2005/3/4 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、
胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、
この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を
高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
(ルカ18:13-14)

 この取税人の前に、ひとりのパリサイ人の祈りが記されていますが、
神様に聞き入れられたのは、そのパリサイ人の祈りではなく、この取税
人の祈りであったというのです。私たちは、恵みによって救われた後も、
この取税人のような、砕かれた悔いた心を大切にしていきたいと、強く
願います。
 IT委員 椙森 


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。キリスト・
イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけ
てしまったのである。もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、
また御霊によって進もうではないか。
(ガラテヤ5:22-25)

 私たちは、聖霊さまの働きを信じ、今も信じる者をとおして、
「しるしと不思議」をなされることを信じ、また、それを大いに
期待しているものです。しかし、それと同様に、いや、それ以上に、
私たちが身につけたいものは、「御霊の実」です。一人一人が御霊に
満たされ、「御霊の実」を結んでいく時に、聖霊さまは、「しるしと
不思議」を、いもと自然に行なってくださるのかも、知れません。
 IT委員 椙森 
2005/3/8 送信済み 


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 彼らが渡ったとき、エリヤはエリシャに言った、
「わたしが取られて、あなたを離れる前に、
あなたのしてほしい事を求めなさい」。エリシャは言った、
「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。
(列王紀下2:9)

 エリシャは、エリヤがどれだけ偉大な預言者であるかをよく承知して
いました。そのエリヤに対して、エリシャは、何と大胆にも「あなたの
霊の二つの分」、すなわち、エリヤの「二倍の油注ぎ」を求めたのです。
彼の内側には、「油注ぎ」に対するとてつもない大きな飢え渇きがあった
のです。そして、過去の肉に属する自分を捨て、すべてを主に明け渡し
た時に、彼はその言葉の通り、「二倍の油注ぎ」を信仰をもって、主から
受け取ったのです。
 IT委員 椙森
2005/3/9 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 主のいつくしみは絶えることがなく、
そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。
(哀歌3:22-23)

 私たちが信じている神様は、常にあふれるばかりの新しい
恵みといつくしみを私たちに注ごうと用意しておられます。
しかし、もし私たちが、神様が私たちに与えようとしておられる
恵みとあわれみに対して、心を開こうとしないならば、その
恵みを受け取ることはできません。上記の御言葉のつづいて、
次のように記されているのです、「主はおのれを待ち望む者と、
おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。主の救を静かに
待ち望むことは、良いことである(3:25-26)」と。
 IT委員 椙森
2005/3/10 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 そしてエリシャは彼らと一緒に行った。彼らはヨルダンへ行って
木を切り倒したが、ひとりが材木を切り倒しているとき、おのの頭が
水の中に落ちたので、彼は叫んで言った。「ああ、わが主よ。これは
借りたものです」。神の人は言った、「それはどこに落ちたのか」。
彼がその場所を知らせると、エリシャは一本の枝を切り落し、そこに
投げ入れて、そのおのの頭を浮ばせ、「それを取りあげよ」と言った
ので、その人は手を伸べてそれを取った。
(列王紀下6:4-7)

 預言者エリヤの「二倍の油注ぎ」をいただいたエリシャをとおして、
主は数々のしるしと不思議を行われました。この鉄でできた斧の頭を浮
ばせたという奇蹟もその一つです。さて、ここでエリシャは「一本の枝
を切り落し、そこに投げ入れて、そのおのの頭を浮ばせた」とありま
す。この「一本の枝」とは、私たちの主イエス・キリストがかけられた
十字架の木を象徴するものであると言われています。そうです、主は
今も、私たちの罪のために十字架にかけられ、そして、三日目によみが
えったと信じる私たち一人一人をとおして、「しるしと不思議」を行わ
れるのです。
 IT委員 椙森
2005/3/11 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 そこでナアマンは馬と車とを従えてきて、エリシャの家の入口に立った。
するとエリシャは彼に使者をつかわして言った、「あなたはヨルダンへ行っ
て七たび身を洗いなさい。そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清く
なるでしょう」。しかしナアマンは怒って去り、そして言った、「わたしは、
彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、
その箇所の上に手を動かして、らい病をいやすのだろうと思った。・・」
(列王紀下5:9-11)

 スリヤ王の軍勢の長ナアマンはその主君に重んじられた有力な人であり、
大勇士でしたが、彼はらい病をわずらっていました。その彼が、神の人、
イスラエルの預言者エリシャにいやしを求めて、やって来ました。しかし、
エリシャが彼に与えた指示は、ナアマンの考えとはまったく異なったもの
であったので、彼はそれを最初、拒否しました。しかし、彼が自分の考えを
変え、エリシャの言葉のとおり、「七たびヨルダンに身を浸すと、その肉が
もとにかえって幼な子の肉のようになり、清くなった」のでした。主は、
彼が七たび、すなわち、100パーセント、主の言葉に従ったその時に、
完全ないやしを与えられたのでした。
 IT委員 椙森
2005/3/12 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために
祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。
エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと
祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。
それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実を
みのらせた。
(ヤコブ5:16-18)

 イェス様は、私たちに「互に愛し合うように」と、教えられましたが、
ここでは、「互に祈り合う」ことの重要性を教えています。そして、
三年六か月の間、雨が降らないようにと祈をささげたエリヤも、私たち
と「同じ人間」であったと証言しているのは、大きな励ましです。
 IT委員 椙森
2005/3/15 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあって
あなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし
合いなさい。
(エペソ4:32)

 私たちの中で完全な人はいません。私たちは皆、多くのあやまちを
犯すものです。それは、救われた後も同じことです。もちろん、私たち
は、完成を目指して前進していかなければなりません。しかし、道を踏
み外し、失敗をしてしまった人々をただ責めるのではなく、温かいあわ
れみの心で受け入れ、私たち自身がキリストにあってゆるされたように、
私たちも、「互にゆるし合うこころ」を大切にしていきたいものです。
 IT委員 椙森
2005/3/16 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし
愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる
知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、
もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
(Tコリント13:1-2)

 イエス様が山上の垂訓の中で、「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う
者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う
者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって
『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。
また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力ある
わざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らに
はっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、
行ってしまえ』」と語られた時、それは、すべてのことを「愛をもって」、そし
て、その「愛を実践するもの、愛を行うものとなりなさい」と教えられたので
はないでしょうか。
 IT委員 椙森
2005/3/17 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。
人を愛する者は、律法を全うするのである。「姦淫するな、殺すな、
盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、
結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの
言葉に帰する。愛は隣り人に害を加えることはない。だから、
愛は律法を完成するものである。
(ローマ13:8-10)

「だから、愛は律法を完成するものである」、とても力強い言葉です。
「今日」というこの日も、この「愛」を目標にして、主に喜ばれる
歩みをさせていただきましょう。

 IT委員 椙森
2005/3/18


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るため
である。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって
互に仕えなさい。律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの
隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。
(ガラテヤ5:13-14)

 私たちが召されたのは、実に、自由を得るためです。しかし、真の
「自由」とは、決して放縦に身をゆだねるということでは、ありません。
むしろ、何ものにも妨げられることなく、進んで、また、喜びをもって
主に仕えることができるということであり、それはまた、兄弟姉妹に
愛をもって、互に仕え合うことができるという「自由」です。そして、
そのように、愛をもって、互に仕え合う時に、私たち一人一人が、
律法の完成者と変えられていくのです。
 IT委員 椙森
2005/3/19 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、
長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、
そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。
すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、
とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」
と言った。イエスは振り向いて、ペテロに言われた、
「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。
あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
(マタイ16:21-23)

「この時」とは、すなわち、弟子たちがイエス様に対して、「あなたこそ、
生ける神の子キリストです」と告白し始めた時です。しかし、弟子たちの
思いの中には、その「キリスト(メシヤ)」が十字架につけられ、殺される
ということがどうしても結びつかなかったです。しかし、主イエス・キリス
トが十字架で血を流すことなしには、私たち人類の罪のゆるしはあり得なか
ったのです。そして、このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげ
られたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに
熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならなかった
のです。
 IT委員 椙森
2005/3/22 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって
言われた、「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、
人のことを思っている」。それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、
彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を
捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を
救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、
自分の命を失う者は、それを救うであろう。
(マルコ8:33-35)

 昨日のマタイと同じ出来事をマルコも記録しています。特にマルコの
福音書で注目したいことは、「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、
わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うで
あろう」とあるように、「福音のために」という御言葉が加えられている
点が、他の福音書と異なるところです。「福音のために、自分の命を失う
者は、それを救う」、この真理を理解した使徒パウロは、次のように告白
しました、「しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わ
った、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、この
いのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない」と。
 IT委員 椙森
2005/3/23 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたい
と思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従って
きなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために
自分の命を失う者は、それを救うであろう。人が全世界をもうけても、
自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。わたしとわたし
の言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、自分の栄光と、父と聖
なる御使との栄光のうちに現れて来るとき、その者を恥じるであろう。
(ルカ9:23-26)

 マタイとマルコが記した同じ御言葉を医者のルカも記しました。これ
を見ただけでも、この御言葉がいかに重要なものであるかを理解するこ
とができます。ただルカは、「自分の十字架を負うて」という御言葉の前
に、「日々」という御言葉を付け加えています。英語では、"daily"または、
"every day"と訳されています。すなわち、「毎日、自分の十字架を負うて、
イエス様に従いなさい」ということです。そうです、私たちは毎日、
イエス様の死をこの身に負うことによって、また、イエス様のいのちが、
私たちの死ぬべき肉体に豊かに現されていくのです。
 IT委員 椙森
2005/3/24 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて
死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし
死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛する
者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保っ
て永遠の命に至るであろう。もしわたしに仕えようとする
人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。
(ヨハネ12:24-26a)

 イエス様は、ここでも私たちが死ぬことによって命を得る
という真理を教えておられます。そして、それを「一粒の麦」
に譬え、一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、それはただ
一粒のままである、けれども、「もし死んだなら、豊かに実を
結ぶようになる」と表現されたのです。そして、だれでも
イエス様を愛する者は、この「一粒の麦」となられたイエス様と
そのみ教えに、「従って来るがよい」と教えられたのです。
 IT委員 椙森
2005/3/25 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、
首をたれて息をひきとられた。(ヨハネ19:30)

 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。
そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。(ヨハネ19:30新改訳)

 イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、
頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ19:30新共同訳)

 イエス様が十字架の上で語られた最後の御言葉です。
英語では、 "It is finished!"、あの「パッション」の映画では、
「救いの御業は成し遂げられた」という日本語の字幕がつけられました。
そうです、私たち人類の救いの御業、あがないの御業は、イエス様があの
十字架の上で、罪の赦しを得させるための完全ないけにえとなって下さっ
たことによって、完成されたのです。
 IT委員 椙森
2005/3/26 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に
疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。
さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、
わたしにはあるのだ」。〔こう言って、手と足とをお見せになった。〕
彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、
イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。彼らが焼いた魚の一
きれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた。
(ルカ24:38-43)

 正直言って、「よみがえりの体」については、私もわからないことが沢
山あります。ドアが閉まっていても、イエス様はその中に自由に入ること
ができましたし、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村に
突然現れたり、また、もっと離れたガリラヤにも姿を現しました。ここ
では、みんなの見ている目の前で焼いた魚を食べられたというのです。
「よみがえりの体」がどんなものであるかはハッキリとわかりませんが、
ハッキリしていることがあります。それは、主イエス・キリストは、万物
をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだをも、
ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるということです。
 IT委員 椙森
2005/3/29 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、
ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせよ
うか」。これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分では
しようとすることを、よくご承知であった。すると、ピリポはイエスに
答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくに
も足りますまい」。弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエ
スに言った、「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている
子供がいます。
(ヨハネ6:5-9a)

 少し想像力を働かせて考えてみて下さい。男の人だけで5000人、
女の人と子供たちを合わせると20,000人近い人々がお腹をすかせて、
野原に群がっています。そして、食べ物といえば、パン五つと、さかな
二ひきを持っている子供がいるだけ・・。そして、イエス様は、ピリポ
に言います、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」と。
しかし、これは、ピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分では
しようとすることを、「よくご承知であった」と記されています。そして、
この後、何が起こったかは、みなさんが「よくご承知です」。神様にとって
不可能なことは何一つありません。しかし、「不可能である」と聖書が宣言し
ていることがあります。"Without faith it is impossible to please God." そうです、
信仰がなくては、神様に喜ばれることは不可能である、と聖書は教えています。
 IT委員 椙森
2005/3/30 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアは
イスラエルの人々の前で主にむかって言った、「日よ、ギベオンの上に
とどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。民がその敵を撃ち破るまで、
日はとどまり、月は動かなかった。これはヤシャルの書にしるされて
いるではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、
おおよそ一日であった。
(ヨシュア10:12-13)

 ヨシュアが主の名によって命じた時に、太陽と月がとどまったという
歴史をどれだけの人々がご存知でしょうか。地球の自転が止まったのか、
それとも、地球の自転に合わせて、太陽系そのものが動き出したのか、
わかりませんが、確かに太陽が天の中空におおよそ一日とどまり、急いで
没することをしなかったのです。あなたもこのヨシュアのような信仰を
いただきたいと思いませんか。しかし、知って下さい。ヨシュアと同じ
名前を持ち、しかもヨシュアにまさる者、すなわち、イエス様が常に
私たちと共におられることを。
 IT委員 椙森
2005/3/31 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 イザヤは言った、「主が約束されたことを行われることについては、
主からこのしるしを得られるでしょう。すなわち日影が十度進むか、
あるいは十度退くかです」。ヒゼキヤは答えた、「日影が十度進むことは
たやすい事です。むしろ日影を十度退かせてください」。そこで預言者
イザヤが主に呼ばわると、アハズの日時計の上に進んだ日影を、十度
退かせられた。
(列王紀下20:9-11)

 ヨシュア記の太陽系における天変地異の奇蹟が、ヒゼキヤ王の時代にも
起こりました。世界中の時計の針が見ている目の前で突然40分逆戻り、
後退したらどうでしょうか。まさにそれは、大パニックでしょう。この
奇蹟を説明できる唯一の鍵は、イスラエルの神が「全知全能」であるという
ことだけです。しかし、皆さんに知って欲しいことがあります。主イエス・
キリストを救い主として信じ、受け入れて「神の子」と変えられた私たちには、
この預言者イザヤ以上に父なる神様との親しい交わりを持つことができるという
事実です。
 IT委員 椙森
※ 今後、このような御言葉の配信をお望みでない方々は、お知らせ下さい。


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマの
ヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、
彼よりは大きい。バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激
しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。
(マタイ11:11-12)

 旧約聖書には、紅海を二つに分けたモーセ、太陽と月を止めたヨシュア、
三年六ヶ月の間、雨をとどめたエリヤやイザヤなど偉大な人物を見ることが
できますが、彼ら以上にバプテスマのヨハネは、大切な働きをした偉大な
人物であるとイエス様は、彼のことを紹介しました。しかし、それにもまさ
って、「天国で最も小さい者」、すなわち、主イエス・キリストの血潮によっ
て、その罪が清められ、天にその名を記された私たちクリスチャンは、旧約
のだれよりも、大きな役割を果たし、大きな使命、油注ぎが与えられている
のだ、とイエス様は私たち一人一人を励ましてくれているのです。
 IT委員 椙森
2005/4/2 送信済み




敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマの
ヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、
彼よりは大きい。バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激
しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。
(マタイ11:11-12)

 旧約聖書には、紅海を二つに分けたモーセ、太陽と月を止めたヨシュア、
三年六ヶ月の間、雨をとどめたエリヤやイザヤなど偉大な人物を見ることが
できますが、彼ら以上にバプテスマのヨハネは、大切な働きをした偉大な
人物であるとイエス様は、彼のことを紹介しました。しかし、それにもまさ
って、「天国で最も小さい者」、すなわち、主イエス・キリストの血潮によっ
て、その罪が清められ、天にその名を記された私たちクリスチャンは、旧約
のだれよりも、大きな役割を果たし、大きな使命、油注ぎが与えられている
のだ、とイエス様は私たち一人一人を励ましてくれているのです。
 IT委員 椙森
2005/4/2 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
21:9 彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、
その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。
21:10 イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。
21:11 シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大き
な魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。
21:12 イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。
(ヨハネ21:9-12a)

 聖書をお持ちの方は、是非、この前後も読んでいただきたいのですが、
9節に出てくる魚とパンは、弟子たちが用意したものではなく、イエス様が
弟子たちのために用意されたものです。では、イエス様はこの魚とパンをどこ
から持って来られたのでしょうか。水をぶどう酒に変え、5つのパンと2匹の
魚で5千人以上の人々を給食されたイエス様にとって、石をパンに変えることは、
「朝めし前」です。イエス様は、「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る
朽ちない食物のために働きなさい」、また、「あなたがたは、これから人間をとる
漁師になるのだ」ということをもう一度、弟子たちに教えたかったのです。
 IT委員 椙森
2005/4/5 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、
知られてこないものはない。だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、
なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で
言いひろめられるであろう。
(ルカ12:2-3)

 教会の牧師が女児性的暴行容疑で逮捕されたというニュースを聞き、
ショックを受け、また、悲しくてしかたがありません。愛する兄弟姉妹、
私たちはもう一度、襟を正し、主に対する恐れの心をもって、もう一度、
私たち一人一人を内側から清めて下さいと祈り求めて参りましょう。
「自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を
見ることはできない。気をつけて、神の恵みからもれることがないように、
また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が
汚されることのないようにしなさい。(ヘブル12:14b-15)」
 IT委員 椙森
2005/4/6 送信済み









敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、
全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。だから、あなたの
内なる光が暗くならないように注意しなさい。もし、あなたのからだ
全体が明るくて、暗い部分が少しもなければ、ちょうど、あかりが輝
いてあなたを照す時のように、全身が明るくなるであろう」。
(ルカ11:34-36)

 イエス様は、私たちを「世の光」として召し出されました。しかし、
ここでは、イエス様は私たちに「あなたの内なる光が暗くならないように
注意しなさい」と教えています。では、私たちはその「内なる光」が暗く
ならないようにするためには、どうすれば良いのでしょうか。それは、
その「光」の元であるイエス様、「世の光」であるイエス様に目を向け、
イエス様との陰日向(かげひなた)のない、更なる親密な人格的交わりを
求めつづけることです。
 IT委員 椙森
2005/4/7 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって
人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、
地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を
創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わ
せよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
(創世記1:26-28)

 名古屋で開かれている愛・地球博において「700万年前の”人類最初の
顔”(トゥーマイ)」というレプリカが公開されているそうですが、これは、
「真っ赤なうそ」です。全知全能の神様は、アメーバはアメーバとして、
猿は猿として、人間は神様のかたちにかたどって創造されたのです。進化論
は、証明されていない仮説であり、聖書信仰を破壊し、創造主なる神様に
対する恐れと信仰とを人々から奪い、真理をはばもうとする悪魔の策略です。
 IT委員 椙森
2005/4/8 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、
したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、
悟るのである。
(ヘブル11:3)

 ヘブル人への手紙の11章には、「信仰の偉人」と呼ばれる人々の名前が列挙
されていますが、彼らは皆、このヘブル書11章3節の御言葉どおりに信じて
いた人々です。すなわち、彼らは皆、「無から有を呼び出される神」を信じてい
たのです。そして、私たちが信じる救い主イエス様は、この「信仰の導き手であり、
またその完成者」であると同時に、この世界を造られた「神の言」そのもの、
「神の言」ご自身なのです。
 IT委員 椙森
2005/4/9 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、
その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
(マタイ7:13-14)

 神様は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んで
おられます。しかし、「命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、
それを見いだす者が少ない」ということも事実ですし、「滅びにいたる
門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い」
ということも事実です。神様の御計画は、この「命にいたる門」の
幅を広げることではなく、すべての人がこの「狭き門」、「羊の門」、
すなわち、「主イエス・キリストご自身」から入って、救われること
を願っておられるのです。
 IT委員 椙森
2005/4/12 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 心をつくして主に信頼せよ、
自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。
(箴言3:5-7)

 行き詰まりを感じる時、とても励ましになる御言葉です。
それは、自分の力で頑張る必要はない、主にすべてをゆだね、
主に信頼して、主に従って行けば良いのだと教えてくれている
からです。そうです、私たちが自分の力や自分の知恵に頼る時、
それはしばしば、失敗の元になるケースがありますが、主は
それを決して望んでおられないのです。主は、私たちが主ご自身
に完全に信頼し、私たちが主との親しい交わりの中で、主と共に
歩むことを願っておられるのです。
 IT委員 椙森
2005/4/13 送信済み



敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの
力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき
者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき
真理に対する愛を受けいれなかった報いである。そこで神は、彼らが偽りを
信じるように、迷わす力を送り、こうして、真理を信じないで不義を喜んで
いたすべての人を、さばくのである。
(Uテサロニケ2:9-12)

 私たちにものごとを正しく判断する力を与えてくれるのは、真理の御言葉で
ある聖書であり、また、イエス様が約束された真理の御霊なる聖霊さまです。
もし、私たちがこの聖書の御言葉に耳を傾けることを止め、真理の御霊を拒む
なら、たちまち、私たちは、正しい判断力を失い、「偽り」、すなわち、真理で
ないものを「真理」であるかのように受け取ってしまい、悪魔にマインドコン
トロールされてしまうのです。ですから、注意しましょう。
 IT委員 椙森
2005/4/14 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、
何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、
ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
(マタイ5:13)

 塩には、さまざまな用途がありますが、今日は食べ物の腐敗を防ぐ、
防腐剤としての塩のききめについて、考えてみたいと思います。今の
私たちの日本を見て、確かに物質的には豊かになったかも知れません
が、いろいろな面で日本が腐敗してきているということを感じない
人はいないのではないでしょうか。イエス様は、私たちに対して
「あなたがたは、地の塩である」と語られました。イエス様は、私たち
クリスチャンをとおして、この日本の地の腐敗に歯止めを掛けようと
願っておられるのです。あなたは今、この地の塩として、そのききめ
をなくしてはいませんか。
 IT委員 椙森
2005/4/15 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、
安きを得る。主によって喜びをなせ。
主はあなたの心の願いをかなえられる。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを
真昼のように明らかにされる。
(詩篇37:3-6)

 イエス様が山上の垂訓の中で語られた教えの中に、「柔和な人たちは、
さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう」という御言葉がありま
すが、その柔和な人になるための秘訣がここに記されています。すなわち、
「主に信頼して善を行え。・・主によって喜びをなせ。・・あなたの道を
主にゆだねよ」ということです。そうする時に、次の約束があなたのもの
になるのです、「そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。・・
主はあなたの心の願いをかなえられる。・・主はそれをなしとげ、あなた
の義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように
明らかにされる」のです。
 IT委員 椙森
2005/4/16 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
『その後、わたしは帰ってきて、倒れたダビデの幕屋を
建てかえ、くずれた箇所を修理し、それを立て直そう。
残っている人々も、わたしの名を唱えているすべての
異邦人も、主を尋ね求めるようになるためである。
世の初めからこれらの事を知らせておられる主が、こう仰せになった』。
(使徒15:16-18)

「異邦人の救いの条件」という議題でエルサレム会議が開かれたことが
使徒行伝のこの15章に記されていますが、ユダヤ人をはじめ、異邦人も
みな、主イエス・キリストを信じる信仰によって、また、その恵みによって
救われるのだということを確認した上で、初代教会の柱として重んじられて
いたヤコブは、このアモス書(9:11-12)の御言葉を引用しました。そして、
主イエス様の恵みによって救われた人々が、ユダヤ人も異邦人も関係なく、
ただ一人の救い主なるイエス様を賛美するという、あのダビデの幕屋のよう
な礼拝がこの時代に回復されることを人々に説き明したのでした。
 IT委員 椙森
2005/4/19 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんと、
その谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた。
・・そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。
預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。
息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、
彼らを生き返らせよ。」私が命じられたとおりに預言すると、
息が彼らの中にはいった。そして彼らは生き返り、自分の足で
立ち上がった。非常に多くの集団であった。
(エゼキエル37:2,9-10新改訳)

 創世記には、「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に
吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」とありますが、ここ
では、神様はエゼキエルに対して、いたく枯れた骨を見せ、そして、
息に向かって預言しなさいと言われたのです。「息よ。四方から吹い
て来い」と彼が命じられたとおりに預言すると、その枯れた骨が生き
返り、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となったというのです。
この「息」とは、他でもありません、それは「聖霊の息」を意味して
いたのです。
 IT委員 椙森

敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんと、その谷間には
非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた。・・そのとき、主は仰せら
れた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主は
こう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹き
つけて、彼らを生き返らせよ。」私が命じられたとおりに預言すると、息が
彼らの中にはいった。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。
非常に多くの集団であった。
(エゼキエル37:2,9-10新改訳)

 創世記には、「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に
吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」とありますが、ここでは、
神様はエゼキエルに対して、いたく枯れた骨を見せ、そして、息に向かっ
て預言しなさいと言われたのです。「息よ。四方から吹いて来い」と彼が
命じられたとおりに預言すると、その枯れた骨が生き返り、その足で立ち、
はなはだ大いなる群衆となったというのです。この「息」とは、他でも
ありません、それは「聖霊の息」を意味していたのです。
 IT委員 椙森
2005/4/20 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 そこでモーセはイスラエルの長老をみな呼び寄せて言った、「あなた
がたは急いで家族ごとに一つの小羊を取り、その過越の獣をほふらな
ければならない。また一束のヒソプを取って鉢の血に浸し、鉢の血を、
かもいと入口の二つの柱につけなければならない。朝まであなたがたは、
ひとりも家の戸の外に出てはならない。主が行き巡ってエジプトびとを
撃たれるとき、かもいと入口の二つの柱にある血を見て、主はその入口を
過ぎ越し、滅ぼす者が、あなたがたの家にはいって、撃つのを許されない
であろう。
(出エジプト12:21-23)

「過越の祭」は、また、「種入れぬパンの祭」とも呼ばれています。ユダヤ
人であり、厳格なパリサイ人であった使徒パウロは、この「過越の祭」を
新約的にこのように、解説しました、「わたしたちの過越の小羊である
キリストは、すでにほふられたのだ。ゆえに、わたしたちは、古いパン
種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない
純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか(Tコリント5:7b-8)」と。
 IT委員 椙森
2005/4/21 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者
エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに
向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、
のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。
(マラキ4:5-6)

 旧約聖書最後の御言葉です。「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る
前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす」と言われたその
エリヤとは、実はバプテスマのヨハネを指すものであったことを新約聖
書をとおして、知ることができます。そして、主のその先駆けである
預言者エリヤであり、また、荒野で呼ばわる者の声としてヨハネが
開口一番に語ったみ言葉は、「主の道を備えよ、その道筋をまっすぐに
せよ」というメッセージであったのです。
 IT委員 椙森


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を
刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、
彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。
(黙示録1:7)

「彼」、すなわち、「主の主、王の王」であるイエス様が雲に乗ってこられる
という約束は、聖書の他の箇所でも見ることができます。イエス様が2000
年前、弟子たちの見ている目の前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が
見えなくなった時のことを使徒行伝は、次のように証言しています、「イエスの
上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたり
の人が、彼らのそばに立っていて言った、『ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰
いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に
上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであ
ろう(使徒1:10-11)』」と。
 IT委員 椙森
2005/4/23 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 そこでイエスは答えて言われた、「それらのガリラヤ人が、そのような
災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かった
と思うのか。あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改め
なければ、みな同じように滅びるであろう。また、シロアムの塔が倒れた
ためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負
債があったと思うか。あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも
悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」。
(ルカ13:2-5)

 時として、私たちの周囲に理解できないような災難が起こり、そのことの
ゆえに、恐れや不安を感じることがあります。2000年前のイエス様がこ
の地を歩まれた時も、そうでした。イエス様がここで繰り返し教えられたこ
とは、「あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」
ということです。神の日の到来を熱心に待ち望んでいる私たちも、主に喜ば
れないいっさいの悪しきわざを悔い改め、「極力、きよく信心深い行いをし
ていなければならない(Uペテロ3:12)」と聖書は、教えているのです。
 IT委員 椙森
2005/4/26 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、
いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
(Tコリント13:4-7)

 私たちは時として、いわれのない誤解や、また、理解できないような不当な
苦しみに遭うことがあるかも知れません。そのような時にこの聖書が教える
「愛」を心の中に維持することは、本当に困難を覚えることがあります。しか
し、知って下さい。人に対して憎しみを抱いても、なんの解決にもならないば
かりではなく、それは、かえって私たちを更に深い陰鬱のどん底に陥れるだけ
であるということを。
 IT委員 椙森
2005/4/27 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 これは日の出る方から、また西の方から、人々がわたしのほかに
神のないことを知るようになるためである。わたしは主である、
わたしのほかに神はない。わたしは光をつくり、また暗きを創造し、
繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である、
すべてこれらの事をなす者である。
(イザヤ45:6-7)

 戦後、この日本の国は、経済的な急成長を遂げ、「経済大国」として、
世界にその名をとどろかせるようになりました。しかし今、その日本の
国において、昨年の自然災害につづいて、大きな人身事故が立て続けに
起こり、人々は恐怖と不安でおののいています。主は今、この日本に向
かって叫んでおられるのです、「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
今見よ、わたしこそは彼である。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、
また生かし、傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出しうるものは
ない。わたしに帰れ」と。
 IT委員 椙森
2005/4/27 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 王は自ら言った、「この大いなるバビロンは、わたしの大いなる力をもって
建てた王城であって、わが威光を輝かすものではないか」。その言葉がなお
王の口にあるうちに、天から声がくだって言った、「ネブカデネザル王よ、
あなたに告げる。国はあなたを離れ去った。あなたは、追われて世の人を離れ、
野の獣と共におり、牛のように草を食い、こうして七つの時を経て、ついに
あなたは、いと高き者が人間の国を治めて、自分の意のままに、これを人に
与えられることを知るに至るだろう」。
(ダニエル4:30-32)

 ネブカデネザル王がバビロンの王宮の屋上を歩いていたとき、自分の力を誇り、
神に栄光を帰することをしなかったために、突然、彼に神のさばきが下ったという
恐ろしい箇所です。しかし、ある意味において大きな権威や権力が与えられると
だれしもが高慢な思いを持ってしまう危険性があるということを私たちはしっかり
と肝に銘じる必要があると思います。そして、この世界を治めておられるのは、
人ではなく、いと高き者、すなわち、神御自身であるということを覚え、常に
すべての栄光を、ただ主にささげるものとならせていただきましょう。
 IT委員 椙森
2005/4/30 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。
神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる、
「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた」。
見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。
(Uコリント6:1-2)

 このゴールデンウィークにみなさん、お一人お一人が神様から素晴らしい
恵みをいただいたことと信じます。しかし、この1節の後半を他の訳で見て
みると、「神の恵みをむだに受けないようにしてください。(新改訳)」また、
「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。(新共同訳)」と訳して
います。主は今も、「その備えのないものには分けてやりなさい」、また、
「受けるよりも与えるほうが幸いである」と語っておられるのです。
 IT委員 椙森









敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は
喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。
主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。・・その時、わたしはあな
たがたを連れ帰り、その時、わたしはあなたがたを集める。わたしがあな
たがたの目の前で、あなたがたの捕われ人を帰すとき、地のすべての民の
間であなたがたに、名誉と栄誉を与えよう、と主は仰せられる。
(ゼパニヤ3:17,20新改訳)

「神様は、あなたを愛しておられます」、このメッセージをみなさんは、
何度もお聞きになったことでしょう。しかし、ここでは、「主は喜びをもっ
てあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らか
に歌ってあなたのことを喜ばれる」と神様がどれだけ、あなたのことを
愛し、また、どれだけあなたのことを喜んでおられるのかが記されている
のです。主は、「あなたの周りを高らかに歌いながら、あなたの周りをぐる
ぐると喜び踊っておられるのですよ」と聖書は、教えているのです。
 IT委員 椙森


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
「さあ、かわいている者はみな水にきたれ。金のない者もきたれ。
来て買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただで
ぶどう酒と乳とを買い求めよ。なぜ、あなたがたは、かてにもならぬ
もののために金を費し、飽きることもできぬもののために労するのか。
わたしによく聞き従え。そうすれば、良い物を食べることができ、
最も豊かな食物で、自分を楽しませることができる。
(イザヤ55:1-2)

 神様は、「もし、あなたがたに何か不足があるなら、それがどんな
必要であれ、わたしのところに来なさい、わたしがそれを満たして
あげよう」と語っておられるのです。もし、みなさんの中に、「いや、
私は、これを神様からではなく、自分の努力によって獲得しよう」と
考えているなら、それは大きな間違いです。なぜなら、聖書ははっき
りと、「人は天から与えられなければ、何ものも受けることはできな
い」と教えており、また、「あなたの持っているもので、もらってい
ないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもの
のように誇るのか」と教えているのです。
 IT委員 椙森
2005/5/10 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、
「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から
生ける水が川となって流れ出るであろう」。これは、イエスを
信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。
(ヨハネ7:37-39a)

 きのうも、きょうも、いつまでも変ることがないイエス様は今も、
叫んでおられます、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて
飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その
腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」と。そして、この
「生ける水」とは、御霊、すなわち、聖霊のことを指していると
説明がなされているのです。神様は、この聖霊をこの終わりの時に、
「すべての人に注ごう、あなたがたのむすこ娘にも、そして、若者
たちにも、そして、老人たちにも注ぎ、男女の僕たちにも注ごう」と
約束しておられるのです。
 IT委員 椙森
2005/5/11 送信済み




敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、
限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。結局のところ、
もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。
これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、
すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。
(伝道の書12:12-14新改訳)

 諸事情により、昨日はメール配信ができませんでした。お詫びします。
教会員の御家族の方が昨日召され、今日、葬儀式が執り行われました。その
式辞の中で当教会の牧師が引用された箇所です。栄華を極めたソロモンで
したが、彼は、その人生の半ばに多くの神々と姦淫の罪を犯し、偶像礼拝に
陥ったために、主の怒りを引き起こし、空しい晩年を送ることになります。
しかし、その彼がその人生の最後の最後に、自分の人生を振り返って、
得た結論が上記の御言葉であったのです。すなわち、「神を恐れよ。神の
命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、
すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ」という
結論に達したのです。
 IT委員 椙森
2005/5/13 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだ
から、わたしを救ってくれるだろうか。わたしたちの主イエス・キリストに
よって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の
律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。こういうわけ
で、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。なぜなら、
キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなた
を解放したからである。
(ローマ7:24-8:2)

「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」、これはあの使徒パウロの
偽ざる告白でした。しかし、彼はそこにとどまらなかったのです。どのような
みじめな人間であっても、どのような罪深い人間であっても、主イエス・キリ
ストの十字架を見上げるなら、そして、私たち自身をいのちの御霊なる聖霊さ
まに明け渡し、ゆだねるならば、必ず、救いと解放が与えられるという神様の
約束がそこにあるからです。
 IT委員 椙森
2005/5/14 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、
神の福音を宣べ伝えて言われた、
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。
(マルコ1:14-15)

 長い間、この日本の国のリバイバルのために、多くのキリスト者が、
日本人だけでなく、多くの海外のクリスチャン達も、この日本のリバイ
バルのために祈ってきました。そして、今、その時が満ち、主はその
祈りに答えて、その御業を日本のあちらこちらで現して下さっています。
「しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、
神の国はすでにあなたがたのところにきたのである(マタイ12:28)」。
私たちは、この「神の国の訪れ」をしっかりと認識し、ますます、へり
くだり、ますます、謙虚になり、聖霊さまの働きに対してオープンに
なり、従順していくものとなっていきたいと思います。
 IT委員 椙森
2005/5/17 送信済み




敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に
対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、
その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、
それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。
(マタイ5:23-24)

「憎しみ」や「恨み」は、神様の祝福と恵みが注がれることを妨げる
最も大きな要因です。上記の御言葉で注意したいことは、たとえ、
あなたは誰に対してもうらみを持っていないとしても、「だれかが
あなたに対してうらみをいだいていることを思い出したなら」、何は
さしおいても、「まず行ってその人と和解しなさい」という教えです。
あの第二次世界大戦での殺戮(さつりく)、また、その後の経済的搾
取によって、日本に対してうらみをいだいている人々は、私たちが
考えている以上に多いという現実をみなさんは、ご存知でしょうか。 
 IT委員 椙森
2005/5/18 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、
そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地に
あるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて
下さったのである。あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、
心の中で神に敵対していた。しかし今では、御子はその肉のからだにより、
その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、
傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さった
のである。
(コロサイ1:19-22)

 この箇所のキーワードは、「神との和解」です。神様は、悪い行いをして
神様から離れ、心の中で神様に敵対していた私たちを御子イエス・キリスト
の十字架の血によって神様と和解させて下さいました。しかし、ここでは、
私たち人間を神様と和解させて下さったばかりではなく、「万物、すなわち、
地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させ
て下さったのである」と記しています。すなわち、私たちが御子イエス様の
十字架のあがないの御業を感謝して、受け入れていく時に、人間を取り巻く
すべての環境、自然界を含むすべての創造物が神様の祝福の恩恵に与ること
ができるようになっていくのです。
 IT委員 椙森
2005/5/19 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しか
るに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために
砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
(イザヤ53:4-5)

「信仰は、聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るの
である」とありますから、みなさんの良くご存知の御言葉ですが、あえて何度
でも、この御言葉を引用しようと決心しています。なぜなら、私たちの救い主
イエス・キリストの十字架は、私たちの罪からの解放という「救い」のためだ
けではなく、「病のいやし」のためであったことを常に思い起こして欲しいから
です。どうか、あなたも今、信仰を持って宣言して下さい、「彼(主イエス・キ
リスト)はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた
傷によって、われわれ(わたし)はいやされたのだ」と。
 IT委員 椙森
2005/5/20 送信済み

敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい
人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。あなたがたいま
飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。あなた
がたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。・・・
 しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまって
いるからである。あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるよう
になるからである。あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣く
ようになるからである。
(ルカ6:20-21,24-25)

 マタイ伝の「山上の垂訓」に対して、ルカ伝の「平地の説教」と呼ばれている
箇所です。この御言葉を読んで、心に受ける印象は、それぞれ千差万別であろう
かと思います。イエス様はここで、本当の「幸福」とは何か、また「わざわい」
とは何かも、教えておられます。この御言葉を通して、日本人が今、忘れかけ
ようとしている、「真の幸福な生涯、満ち足りた人生」を送るための大切な指針・
ヒントを与えてくれているのではないでしょうか。
 IT委員 椙森


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に
導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞く
ところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、
それをあなたがたに知らせるからである。
(ヨハネ16:13-14)

 私たちが救われた後に、神様の御心を正しく理解するために必要な
ことは、聖霊に満たされることです。なぜなら、聖霊さまは、真理の
御霊だからです。そして、この真理の御霊である聖霊さまが私たちを
あらゆる真理に導いてくれるであろうとイエス様は教えて下さいまし
た。聖霊さまは、神様の御心が何であるかを私たちに教え、また、
きたるべき事、すなわち、これから後に起るべきことさえも私たちに
知らせて下さるというのです。そして、それは、そのことを通して
御子なる神様、すなわち、イエス様にすべての栄光をお返しするため
なのです。
 IT委員 椙森
2005/5/25 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。
へりくだって貧しい人々と共におるのは、
高ぶる者と共にいて、獲物を分けるにまさる。・・
人の心の高ぶりは滅びにさきだち、謙遜は栄誉にさきだつ。
人の高ぶりはその人を低くし、心にへりくだる者は誉を得る。
(箴言16:18-19,18:12,29:23)

 知恵の書ともいうべき「箴言」には、「高ぶり」をいましめる言葉が
多く記されています。それは、主を恐れることが知識のはじめであるに
もかかわらず、私たちの内に「高ぶり」が生じると、主を恐れるどころ
か、主を侮るものになってしまい、神様の祝福を失い、かえって主のさ
ばきを自分の身に招くことになってしまうからです。また、人と比べて、
事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれ
ば、それは高慢であり、良い人間関係をも破壊してしまうものなのです。

 IT委員 椙森
2005/5/26 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれるこ
ともしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたの
うち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすこ
とができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花が
どうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この
花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
(マタイ6:26-29)

 小鳥たちがさえずり、緑豊かな季節、また、花々がその美しさを競って
いるかのように、咲き誇る季節です。イエス様は、「空の鳥を見るがよい、
野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい」と教えられました。
イエス様はここで、この美しい大自然を創造し、また、その中のすべての
生き物、植物を養い育てているのは、私たちの父なる神様であると教えら
れたのです。そして、その父なる神様が子供たちである私たちに求めてお
られることは、「まず神の国と神の義とを求める」ことであり、また、「霊と
まこととをもって父なる神様を礼拝する」ことであるとイエス様は今も、
語っておられるのです。
 IT委員 椙森
2005/5/27 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、
つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。もしこれらのこと
がわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである。
(ヨハネ13:16-17)

 17節の御言葉を新改訳は、「あなたがたがこれらのことを知っている
のなら、それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです」と訳し
ました。すなわち、私たちがどれだけ大きく神様によって用いられても、
私たちが主イエス様のしもべであることを決して忘れないで、すべての
栄光を主にお返しする時に、私たちは神様から大きな祝福をいただくこ
とができるのであり、そして、それが私たちにとって、本当の「さいわい」
であると教えて下さったのです。
 IT委員 椙森
2005/5/28 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、
神があなたがたに求めておられることである。御霊を消してはいけない。
(Tテサロニケ5:16-19)

 パソコンの調子が悪く、少しいらだちを覚えていた時に、与えられた
御言葉です。上の御言葉を実践するためには、どのような状況の中にあっ
ても、御言葉を行うものとならせて下さいと祈る心、また、その信仰の
決断が必要であることを改めて、教えられています。
 IT委員 椙森
2005/5/31 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたち
は、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませ
ましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せまし
たか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りま
したか』。すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。
わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、
わたしにしたのである』。
(マタイ25:37-40)

 私たちは、何か大きなことをしないと人々から認めてもらえないと思いがち
ですが、しかし、主の目、主イエス様の見方は全くそれとは異なっています。
イエス様は、私たちが「最も小さい者、最も弱い者」に対して、どのような態
度で接したか、どのような助けの手をのべたのか、それを見ておられるのです。
そして、この「最も小さい者」に対して私たちがとった態度、行いによって、
私たちが永遠の祝福を受けるのか、それとも永遠の刑罰を受けるのかを決定す
るのだとイエス様は教えて下さったのです。
 IT委員 椙森


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は
大事にも不忠実である。だから、もしあなたがたが不正の富について忠実
でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。また、もしほかの人のもの
について忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。
(ルカ16:10-12)

 私たちに本当の権威を与えて下さるお方は、人ではなく、主なる神様ご自
身です。その神様が私たちに求めておられることは、まず、「小事に忠実」で
あることです。そして、この「小事に忠実」であるということは、だれも見て
いないと思えるような、本当に些細なことであっても、主はすべてを見ておら
れるという認識から、生まれてくるのではないでしょうか。
 IT委員 椙森
2005/6/2 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、
向こう側を通って行った。同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、
彼を見ると向こう側を通って行った。ところが、あるサマリヤ人が旅をして
この人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷に
オリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、
宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に
手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、
帰りがけに、わたしが支払います』と言った。
(ルカ10:31-35)

 かの「良きサマリヤ人の譬え」の一部です。祭司もレビ人もどちらも強盗に
襲われて傷つき、今にも死にかけているこの旅人を見たのです。しかし、祭司も
レビ人も、それを見て見ぬ振りをして、そこを去ってしまったのでした。ところ
が普段、ユダヤ人から混血児として差別されていたサマリヤ人は、彼を見て気の
毒に思い、並々ならぬ介抱を彼に施したのでした。この咄嗟(とっさ)の行動は、
三人の普段の生活をそのまま、映し出しているのではないでしょうか。イエス様は、
今日、あなたに問いかけておられます、「この三人のうち、だれが強盗に襲われた
人の隣り人になったと思うか」と。
 IT委員 椙森


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちに
いるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをも
わたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしを
おつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。
(ヨハネ17:21)

 イエス様と父なる神様が一つであられるように、イエス様を信じるすべて
の者が一つとなり、それによって父なる神様がイエス様を世の救い主として
おつかわしになったことを、世が知り、信じるようになること、これがイエ
ス様が十字架につけられる前に、祈られたイエス様の祈り、「主の祈り」です。
賜物も違い、務も違い、働きも違う私たちが、主にあって、御霊にあって、
一つとなること、これがまさに神様にとって、最高の「ドリーム・チーム」
なのです。
 IT委員 椙森
2005/6/4 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子である
ことを、すべての者が認めるであろう」。
(ヨハネ13:34-35)

 私たち人間は、人それぞれ生まれも育ちも違います。また、性格も違いま
す。考え方も違います。その私たちに対してイエス様は、「互に愛し合いな
さい」といういましめを与えられました。それは、ある意味において難しい
ことであり、不可能だと思えることさえあるかも知れません。しかし、イエ
ス様は、「互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子で
あることを、すべての者が認めるであろう」と教えられたのです。もし、私
たちが「あの人」は愛せないと思う人がいるなら、その人をも愛せるように、
どうか、私をもう一度、聖霊によって神様の大きな愛で満たして下さいと
主に求めていこうではありませんか。
 IT委員 椙森
2005/6/7 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきで
ある。わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、
いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊で
ある。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受け
ることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあな
たがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
(ヨハネ14:15-17)

 私たちは、主イエス様の約束を信じて、聖霊の満たしを熱心に求めている
者です。それは、「天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないこと
があろうか(ルカ11:13)」とあるからです。しかし、ここでは、イエス様は、
私たちが聖霊、すなわち、真理の御霊であり、別の助け主である聖霊を受ける
ために、主が私たちに求めておられることがありますよ、と教えているのです。
それは、私たちがイエス様のいましめを守ることである、と教えられたのです。
そして、そのいましめとは、イエス様が私たちを愛して下さったように、私た
ちも互に愛し合うといういましめなのです。私たちクリスチャンが互に愛し
合うところに聖霊さまは、親しく臨んで下さるのです。
 IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。
2005/6/8 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 そしてわたしは彼らに一つの心を与え、彼らのうちに新しい霊を授け、彼らの
肉から石の心を取り去って、肉の心を与える。これは彼らがわたしの定めに歩み、
わたしのおきてを守って行い、そして彼らがわたしの民となり、わたしが彼らの
神となるためである。・・
 わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あな
たがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。わたしはまたわが霊をあなた
がたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。
(エゼキエル11:19-20,36:26-27)

 エゼキエルは、何度か「肉の心」という言葉を用いていますが、ここでは決して
悪い意味での肉的、あるいは世俗的という意味で使っているのではありません。
むしろ、ここでは、神様の御言葉に対してかたくなな頑固な心ではなく、柔らかい
従順な素直な心という意味です。そして、それは、私たちの内に新しい霊、清い霊、
すなわち、聖霊さまが臨む時に可能になり、その御霊の助けと柔らかい従順な心を
もって、主のいましめのうちに歩み、私たち一人一人が神様の栄光をあらわす器と
して整えられ、変えられていくのです。
 IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。 
    


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 そして彼はわたしを宮の戸口に帰らせた。見よ、水の宮の敷居の下から、
東の方へ流れていた。宮は東に面し、その水は、下から出て、祭壇の南に
ある宮の敷居の南の端から、流れ下っていた。・・
その人は東に進み、手に測りなわをもって一千キュビトを測り、わたしを
渡らせた。すると水はくるぶしに達した。彼がまた一千キュビトを測って、
わたしを渡らせると、水はひざに達した。彼がまた一千キュビトを測って、
わたしを渡らせると、水は腰に達した。彼がまた一千キュビトを測ると、
渡り得ないほどの川になり、水は深くなって、泳げるほどの水、越え得な
いほどの川になった。
(エゼキエル47:1,3-5)

 いやしをもたらす神の川は、「宮の敷居の下から、東の方へ流れていた」と
聖書は記しています。私たちがこの「生ける水」を飲もうとするならば、ひざ
まづき、身をかがめて飲まなければなりません。すなわち、へりくだらなけれ
ばなりません。しかし、私たちが本気になってこの生ける水の川に近づこうと
するならば、その水はくるぶしに達し、やがてそれはひざに達し、腰にまで達
し、そして、ついには渡り得ないほどの川になり、泳げるほどの豊かな流れ、
越え得ないほどの川となっていくのです。
 IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。 
         



敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 彼はわたしに言った、「この水は東の境に流れて行き、アラバに落ち下り、
その水が、よどんだ海にはいると、それは清くなる。おおよそこの川の流れ
る所では、もろもろの動く生き物が皆生き、また、はなはだ多くの魚がいる。
これはその水がはいると、海の水を清くするためである。この川の流れる所
では、すべてのものが生きている。
(エゼキエル47:8-9)

 日本語の慣用句に、「水を得た魚のよう」という表現がありますが、その意
味は、「自由に活動できる場を得て生き生きとしているさま(広辞苑)」との
説明が書いてありました。イエス・キリストの十字架と復活の福音によって、
救われたクリスチャンは、イエス様が約束された聖霊に満たされ、聖霊さまに
すべてを明け渡していく時に、「水を得た魚のよう」に、生き生きとしたクリ
スチャンに変えられていくのです。そして、聖霊に満たされたクリスチャンを
見て、人々は主イエス・キリストが今も生きておられ、私たちに本当の喜びと
生きる活力を与えてくださるお方であることを知るようになるのです。
 IT委員 椙森
2005/6/11 送信済み 


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざけ
る者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜び
とし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった
木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をし
ても栄える。
(詩篇1:1-3新改訳)

 クリスチャンが主にあって「栄える」ことは、主のみ心です。3節を新
共同訳は、「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実
を結び葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもた
らす」と訳しました。大切なことは、「彼(キリスト)に根ざし、彼にあっ
て建てられ、そして教えられたように、信仰が確立されて、あふれるばか
り感謝(コロサイ2:7)」することです。そして、私たちが根をささえてい
るのではなく、根が私たちをささえているのであるということを覚えて、
ますます、下に根を張り、上に実を結ぶものとなって参りましょう。
 IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。 
         
2005/6/14 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、
祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは
天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。
(歴代志下7:14)

 神様は、世界の至る所において、上の御言葉が今も真実であり、有
効であることを明らかにしておられます。主を信じるクリスチャン達が
心を一つにし、主の前にへりくだり、祈りつづけ、主の御顔を求め続け、
罪を悔い改め、その悪い道を離れる時に、主は恵みふかく、あわれみに
満ち、怒ることおそく、いつくしみ豊かな神様であられて、私たちの
いっさいの罪をゆるし、私たちの地をいやしてくださり、大きな祝福と
繁栄と恵みをもって、この地を潤し、満たして下さるのです。
 IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。 
         
2005/6/15 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、
あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。
もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめら
れた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合う
ようになる。
(Uテモテ2:20-21)

 金の器、銀の器、木の器、土の器、それぞれ用途は違いますが、神様は、
どんな器でも用いることができます。聖書は、「あるものは尊いことに用
いられ、あるものは卑しいことに用いられる」と説明しています。しかし、
神様が用いることができない器があります。それは、「汚れた器」です。
私たちは一人一人、主人に役立つものとなり、主のすべての良いわざに間
に合う、すなわち、主の御栄光のために、用いられるものとなるために、
日々私たちの内から卑しいものを取り去って、自分をきよめ、尊い器に変
えられるように、共に励んで参りましょう。
 IT委員 椙森
2005/6/16 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者が
あれば、父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの、すなわち、
肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から
出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う
者は、永遠にながらえる。
(Tヨハネ2:15-17)

 イエス様を救い主として信じ受け入れた人でも、上記の御言葉を自分の
ものとしてしっかりと受けとめ、それを実践している人はそんなに多くは
ありません。すなわち、新生したクリスチャンも常に、「肉の欲、目の欲、
持ち物の誇」という誘惑にさらされているということです。しかし、私た
ちは、キリストと共に死人の中からよみがえらせられた者として、常に、
上にあるものを求め、御霊によって生き、御霊によって進む者と変えられ
て参りましょう。
 IT委員 椙森




敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 またサウルは人をつかわしてエッサイに言った、「ダビデをわたしに
仕えさせてください。彼はわたしの心にかないました」。神から出る悪
霊がサウルに臨む時、ダビデは琴をとり、手でそれをひくと、サウルは
気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた。
(Tサムエル記上16:22-23)

 特に23節の「神から出る悪霊がサウルに臨む時、ダビデは琴をとり、
手でそれをひくと、サウルは気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた」
とあるのは、注意を引くところです。まさに、いやし系、「ヒーリング・
ミュージック」であったわけです。ダビデの油注がれた神様への賛美には、
不思議な力を持っていました。それは、神様の臨在をもたらし、その神様の
聖なる臨在の中には、悪霊はとどまることができなくなるのです。悪霊は、
サウルから離れていったのでした。
 IT委員 椙森
2005/6/18 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 わたしたちがどういう教を主イエスによって与えたか、あなたがたはよく
知っている。神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、
不品行を慎み、各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、神を知らない
異邦人のように情欲をほしいままにせず、また、このようなことで兄弟を踏み
つけたり、だましたりしてはならない。前にもあなたがたにきびしく警告して
おいたように、主はこれらすべてのことについて、報いをなさるからである。
神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなる
ためである。
(Tテサロニケ4:2-7)

「ホーリネス(清め・聖め)」という言葉をそのまま、教団名にしているところ
もありますが、わたしたちが清くなることは、神様の私たち一人一人に対する
みこころであると、聖書は教えています。そして、私たちが清くなるためには、
聖い霊である聖霊さまを常に歓迎し、まことのぶどうの木であるイエス様にしっ
かりとつながり、主のみ言葉にしたがって、自分を清く保つよりほかにないの
です。
 IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。 
         
2005/6/21 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者
となってはいけない。おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、
自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。彼は自分を映して見て
そこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れて
しまう。これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、
聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、
その行いによって祝福される。
(ヤコブ1:22-25)

「御言を行う人になりなさい」、これは決して私たちをもう一度、律法主義に
引き戻そうとしているのではありません。そうではなく、主イエス・キリスト
を救い主として信じ、受け入れて救われたクリスチャンが、さらに大きな神様
の祝福にあずかるためのその「祝福の秘訣」なのです。聖書ははっきりと宣言
しています、「こういう人は、その行いによって祝福される」と。
 IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、
肉体をきよめ聖別するとすれば、永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者と
して神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよ
めて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。
(ヘブル9:13-14)

 神の小羊イエス様の血潮の力は、どれだけ強調しても強調しすぎることは、
ありません。旧約聖書の出来事は、やがて来たるべき神の小羊イエス様の血
潮の力をいろいろなひな型をとおして、証ししつづけてきたのです。そして、
旧約時代は、そのひな型をとおして、素晴らしい神様の恩恵にあずかること
ができたのです。だとすれば、ひな型ではなく、きたるべきものの影でもな
い、その本体であるイエス様ご自身の血潮の力は、なおさら、はるかに力強
く、「わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える
者としないであろうか」と聖書は、証ししているのです。
 IT委員 椙森
2005/6/23 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、
また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、
あなたがたはいと高き者の子となるであろう。
いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。
(ルカ6:35-36)

 みなさんは、上の御言葉は、誰が語られた言葉か、ご存知でしょうか。
そうです、私たちを愛し、また、私たちも心から愛している主イエス様の
御言葉です。その私たちの「主であり、また、教師」である主イエス様は、この
後、次のように語られたのです、「わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜ
わたしの言うことを行わないのか。わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞い
て行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。それは、地を深く掘り、
岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し
寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである」
と。
 IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。 
         


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたし
たちは何をしたらよいでしょうか」。イエスは彼らに答えて言われた、
「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。
(ヨハネ6:28-29)

「行うこと」と、「信じること」とが、表裏一体であることをイエス様は、
ここで教えられたのです。すなわち、「行いのない信仰が死んだものである
(ヤコブ2:26)」と同様に、「信仰のない行い」も死んだものなのです。 
 IT委員 椙森


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 ダビデと従者たちはその町にきて、町が火で焼かれ、その妻とむすこ娘
らは捕虜となったのを見た。ダビデおよび彼と共にいた民は声をあげて泣き、
ついに泣く力もなくなった。ダビデのふたりの妻すなわちエズレルの女
アヒノアムと、カルメルびとナバルの妻であったアビガイルも捕虜になった。
その時、ダビデはひじょうに悩んだ。それは民がみなおのおのそのむすこ
娘のために心を痛めたため、ダビデを石で撃とうと言ったからである。
しかしダビデはその神、主によって自分を力づけた。
(サムエル記上30:3-6)

 時として、私たちは敵である悪魔の攻撃を受けて、立ち上がれないほどの
大きな苦難に遭うことがあるかも知れません。しかも、だれも助けてくれる
人がいない。ダビデが、アマレクびとが襲ったチクラグを見た時、まさにそ
のような状況でした。その状況があまりにも悲惨であったので、自分の民さ
えも、ダビデを石で撃とうとしたのでした。しかし、そんな中でダビデがし
たこと、それは、「ダビデはその神、主によって自分を力づけた」のです。
「ダビデは彼の神、主によって奮い立った(新改訳)」、「ダビデはその神、
主によって力を奮い起こした(新共同訳)」のでした。
 IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 ダビデと従者たちはその町にきて、町が火で焼かれ、その妻とむすこ娘
らは捕虜となったのを見た。ダビデおよび彼と共にいた民は声をあげて泣き、
ついに泣く力もなくなった。ダビデのふたりの妻すなわちエズレルの女
アヒノアムと、カルメルびとナバルの妻であったアビガイルも捕虜になった。
その時、ダビデはひじょうに悩んだ。それは民がみなおのおのそのむすこ
娘のために心を痛めたため、ダビデを石で撃とうと言ったからである。
しかしダビデはその神、主によって自分を力づけた。
(サムエル記上30:3-6)

 時として、私たちは敵である悪魔の攻撃を受けて、立ち上がれないほどの
大きな苦難に遭うことがあるかも知れません。しかも、だれも助けてくれる
人がいない。ダビデが、アマレクびとが襲ったチクラグを見た時、まさにその
ような状況でした。その状況があまりにも悲惨であったので、自分の民さえ
も、ダビデを石で撃とうとしたのでした。しかし、そんな中でダビデがした
こと、それは、「ダビデはその神、主によって自分を力づけた」のです。
「ダビデは彼の神、主によって奮い立った(新改訳)」、「ダビデはその神、
主によって力を奮い起こした(新共同訳)」のでした。
 IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉(旧約編)
 順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事が
あるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。
(伝道の書7:14)

 新しい方のパソコンが故障のため、古い方のパソコンを使っています。
パソコンという便利な機械が誕生したことによって、どうしてもそれに
頼ってしまうことが多くなりました。それだけに、パソコンが故障した
時に、受けるダメージも多大です。パソコンではなく、「もっともっと、
万物の造り主である主に寄り頼む心を与えて下さい」と祈るものです。
 IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。 
2005/6/29 送信済み



敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている
聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
(ローマ5:3-5)

「患難をも喜ぶ」、なかなか、使徒パウロのこの信仰の領域に達することのでき
ない自分を見て、失望することがありますが、それはやはり肉の自分を見てしま
うからであって、「全知全能の神」である主、聖霊によって、私たちの心に愛を
注いでいて下さる主を見上げていないからであることを教えられています。
みなさんも今、その試練の中で、みなさんお一人お一人に、忍耐と練達と希望を
与え、また、みなさんの内に宿っている聖霊さまによって、限りない愛を注いで
いて下さる主を見上げることができますように。 
 IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。 
         
2005/6/30 送信済み