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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
彼がまだ話し終えないうちに、
たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、
「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。
弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。イエスは近づいてきて、
手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。
彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
(マタイ17:5-8)
聖書の中でも、神様ご自身が直接、声を出して語られた箇所というのは、
そんなに多くはありません。逆に、神様が直接、語られたことがあったと
いう事実・歴史があることも私たちは知っておかなければならないと思い
ます。それは、人をとおしてではなく、神様ご自身がご自分の民に対して、
神様の大切な真理を教える、悟らせるために、直接御介入されたというこ
とです。そして、この場合の真理、それは、主イエス・キリストこそ、
神様にとって「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」
ということ。そして、すべての人に対して神様は、「これ(主イエス・
キリスト)に聞け」と語られているのです。
IT委員 椙森
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2005/7/1 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして
雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者で
ある。これに聞け」。弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。
イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れる
ことはない」。彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるま
では、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
(マタイ17:5-9)
イスラエルでは今でも、男の子が13歳になると「バル・ミツバ」と呼ばれ
る成人式が行われます。「バル・ミツバ」とは、すなわち、「律法の子」という
意味です。ユダヤ人が「律法」と言う時、それは、「モーセの律法」を指して
います。ですから、主の変貌を目撃した弟子たちがすぐさま、「わたしたちは、
モーセやエリヤではなく、イエス・キリストに聞くべきである」などと言おう
ものなら、彼らはたちまち、人々から石で撃ち殺されていたでしょう。イエス
様が、「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話し
てはならない」と、彼らに命じられたのは、深い意味と弟子たちに対する配慮
があったのです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。
わたしの愛のうちにいなさい。もしわたしのいましめを守るならば、
あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわた
しの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。
わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうち
にも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
(ヨハネ15:9-11)
主イエス様は、「わたしの愛のうちにいなさい」と語られました。これは、
主イエス様の命令であると同時に、私たちも切に願っていることではないで
しょうか。では、どうすれば、私たちは主イエス様の愛のうちにとどまる
ことができるのでしょうか。イエス様はつづけてこのように語られました、
「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにお
るのである」と。そして、私たちが主イエス様の愛のうちにとどまる時に、
単なる表面的な喜びではなく、本当の喜び、すなわち、主イエス様の喜びが
私たちのうちにも宿り、そして、また、その喜びが満ちあふれるようになっ
ていくのです。
IT委員 椙森
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2005/7/5 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうで
ある。神は光であって、神には少しの暗いところもない。神と交わりをして
いると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽って
いるのであって、真理を行っているのではない。しかし、神が光の中にいま
すように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをも
ち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるので
ある。
(Tヨハネ1:5-7)
わたしたちが神様と交わりを持つということは、わたしたちが光の中を歩
くことであると、ヨハネは表現しました。そして、その光の中を歩くという
ことは、すなわち、神様の戒めを守ることであり、互に愛し合うことである
とヨハネは言いました。「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者
は、今なお、やみの中にいるのです。わたしたちはやみに追いつかれないよ
うに、光の中を歩きつづけ、戒めのうちを歩み、ますます互に愛し合うもの
と変えられて参りましょう。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。
杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。
盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。
そうすれば、外側も清くなるであろう。
(マタイ23:25-26)
このマタイ伝の23章には、律法学者、パリサイ人に対するイエス様の
非常に厳しい、しかも長い叱責の言葉が記されています。しかし、神様の
恵みによって救われたクリスチャンも、時が経つにつれ、その恵みに慣れ
てしまい、いつしか、その信仰が形骸化してしまい、「信心深い様子をし
ながらその実を捨てる者(Uテモテ3:5)」となってしまう危険性を含んで
いるということを知っておく必要があると思います。私たちは今日、主イエ
ス様が語られた、「まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も
清くなるであろう」という御言葉に耳を傾けることから始めたいと思います。
IT委員 椙森
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2005/7/7 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
だれもあかりをともして、それを穴倉の中や枡の下に置くことはしない。
むしろはいって来る人たちに、そのあかりが見えるように、燭台の上におく。
あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も
明るいが、目がわるければ、からだも暗い。だから、あなたの内なる光が
暗くならないように注意しなさい。もし、あなたのからだ全体が明るくて、
暗い部分が少しもなければ、ちょうど、あかりが輝いてあなたを照す時の
ように、全身が明るくなるであろう」。
(ルカ11:33-36)
「世の光」である主イエス様は、わたしたちをも「世の光」として召し出し
て下さいました。しかし、私たちがその主イエス様から離れ、み心に反する
ことを行うなら、私たちの心に直ぐかげりがかかってしまいます。ですから、
主イエス様はここで、「あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい」
と教えられたのです。主イエス様は、わたしたちのからだ全体が明るくて、
暗い部分が少しもなく、ちょうど、あかりが輝いて照す時のように、全身が明
るくなる」ことを願っておられるのです。そして、わたしたちの光を人々の前
に輝かし、そして、人々がわたしたちのよいおこないを見て、天にいますわた
したちの父なる神様があがめられるようになることを願っておられるのです。
IT委員 椙森
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2005/7/8 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。
光の子らしく歩きなさい――光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせ
るものである――主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。
実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。
彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。
しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。
明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、
「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。
そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。
(エペソ5:8-14)
「あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。
光の子らしく歩きなさい」、この御言葉は、外でもなく、みなさんに、あなたに
対して、主が語っておられることです。しかし、使徒のパウロはさらに、私たち
を奮い立たせるかのように、次の御言葉を引用しています、「眠っている者よ、
起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストが
あなたを照すであろう」と。あなたは今、「光の子」として輝いていますか。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、
あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、
これを伝える務に、あなたを任じるためである。わたしは、この国民と異邦人と
の中から、あなたを救い出し、あらためてあなたを彼らにつかわすが、それは、
彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、
また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に
加わるためである』。
(使徒26:16-18)
ダマスコの途上で、主イエス様がサウロ(後のパウロ)に語られた御言葉です。
しかし、これはパウロに与えられた御言葉であると同時に、神様の恵みによって
救われた私たちクリスチャン一人一人に与えられた使命でもあります。
すなわち、私たちが人々に主イエス・キリストの福音を宣べ伝えることによって、
@人々の目(霊の目)を開くこと、 A人々をやみから光へ導くこと、
B人々を悪魔の支配から神様のみもとに帰らせること、
C人々が罪のゆるしを得ること、
D人々が主イエス様を信じる信仰によって、聖別された人々に加わるため、
であったのです。
IT委員 椙森
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2005/7/12
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神に
つける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて
下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。
(Tペテロ2:9)
神様から遠く離れ、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束
されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者で
あった私たち異邦人のためにも、神様は御子イエス様をつかわし、その十
字架の血によって、神様と和解させ、恵みによって私たちをも選ばれた種族、
祭司の国、聖なる国民、神につける民と変えて下さいました。そして、その
目的は、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、
私たちが語り伝えるためであったのです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなけれ
ばならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』
と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事につい
て教え示したのである」。
(使徒行伝20:35)
「受けるよりは与える方が、さいわいである」、この真理は、物質的な祝福
だけに限らず、霊的な恵みについても言えることです。特にクリスチャン
人口が1%にも満たないというこの日本の国においては、先に救われた私た
ちクリスチャンに対する責任は重大であると思います。私たちは、福音を聞いて、
それを受け入れて救われた時の喜びを決して忘れてはいけません。しかし、
それ以上に、私たちが信じ、受け入れて救われた福音を他の人々に宣べ伝え、
そのことをとおして、人々が救いに導かれるなら、もっともっと大きな祝福、
「さいわい」につながるのだということを私たちは覚えたいのです。
IT委員 椙森
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2005/7/14 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、
喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と
願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、
あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
(ピリピ4:4-7)
聖書の中には、繰り返し「喜びなさい」という言葉が出てくることを
みなさんは、よくご存知です。特にこの箇所では、「主にあっていつも
喜びなさい」と教えています。言い換えれば、「主に結びついて、いつも
喜びなさい」ということです。永遠の滅びに定められていた者が、主イエ
ス・キリストを信じたことによって、そのすべての罪がゆるされ、私たちの
「名前が天に書き記されていることを喜びなさい」と聖書は、教えているの
です。そして、そのことを知る時に、どのような状況の中にあっても、
どんな境遇にあっても、「喜ぶ」ことができるように、主が私たちを変えて
下さることを感謝します。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、
福音を宣べ伝えることなのである。わたしは福音を恥としない。それは、
ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる
神の力である。
(ローマ1:15-16)
使徒パウロは告白しています、「わたしは福音を恥としない」と。なぜなら、
彼は知っていたからです、「それ(福音)は、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人
にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である」ということを、そして、
彼自らが、その福音の力を体験していたからです。そして、すべての人を救う
神の福音の力を知った時に、彼はこの主イエス様から賜わった、「神のめぐみの
福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも
惜しいとは思わない」ように、変えられていったのでした。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。
なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。
もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。
進んでそれをすれば、報酬を受けるであろう。しかし、進んで
しないとしても、それは、わたしにゆだねられた務なのである。
(Tコリント9:16-17)
私たちの救い主イエス様は、あの最後の晩餐の席でこのように、
語られました、「わたしが道であり、真理であり、命である。だれで
もわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と。もし、
私たちがこのことを本当に理解し、イエス様の福音以外に人々を救う
ことのできるものはないと知っているのなら、使徒パウロに限らず、
だれでも、「わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。
なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を
宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである」と告白せずにはおれ
ないのではないでしょうか。
IT委員 椙森
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2005/7/19 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。
(詩篇119:105)
短い御言葉ですが、私たちクリスチャンにとって、とても大切な真理
です。今でもそうなのですが、私が生まれ育ったところはとても田舎で
すから、都会のように街灯は多くありません。ですから、田んぼ道を夜
に歩く時は、月と星の光だけが頼りです。曇っている日の夜道などは、
全く足元に何があるのか、判りません。余程慎重に歩かないと、溝に
はまったりすることもあります。しかし、そんな時、手に懐中電灯があ
ると安心です。主の御言葉は、その闇夜の足元を照らす「懐中電灯」の
ようなものです。
IT委員 椙森
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2005/7/20 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、
ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのを
ごらんになった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた、
「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。
すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。そこから進んで行かれると、
ほかのふたりの兄弟、すなわち、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、
父ゼベダイと一緒に、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。そこで
彼らをお招きになると、すぐ舟と父とをおいて、イエスに従って行った。
(マタイ4:18-22)
ある方は、この箇所を読んで言うかも知れません、「これは、ペテロとアンデレ、
そして、ヤコブとヨハネに語られたのであって、私には関係がない」と。しかし、
そうではありません。ここには、イエス様の声を聞いて、それに応答した人達の
ことが書かれているだけのことなのです。イエス様は今も、すべての人に対して、
「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、
わたしに従ってきなさい」と招いておられるのです。あなたも今、網を捨てて、
イエス様に従いませんか。
IT委員 椙森
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2005/7/21 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
使徒たちを呼び入れて、むち打ったのち、今後イエスの名によって語る
ことは相成らぬと言いわたして、ゆるしてやった。使徒たちは、御名のために
恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。
そして、毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、引きつづき
教えたり宣べ伝えたりした。
(使徒行伝5:40-42)
聖霊に満たされた使徒たちは、どこにおいても大胆に主イエス様のことを
証しするように、変えられていきました。しかし、それに対して、ユダヤ教の
指導者であった大祭司やサドカイ人たちは、みな嫉妬の念に満たされて、
彼らを迫害し始めたのす。ところが、それに対して、使徒たちは、迫害を
恐れて小さくなるどころか、「御名のために恥を加えられるに足る者とされ
たことを喜びながら、議会から出てきて、さらに、毎日、宮や家で、イエスが
キリストであることを、引きつづき教えたり宣べ伝えたりした」というのです。
そして、これが聖霊さまの素晴らしい働きなのです。
IT委員 椙森
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2005/7/23 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、
神に従うべきである。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて
殺したイエスをよみがえらせ、そして、イスラエルを悔い改めさせてこれ
に罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自
身の右に上げられたのである。わたしたちはこれらの事の証人である。
神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」。
(使徒行伝5:29-32)
多くの人々は、人を恐れ、人の声に左右され、どっちつかずの態度を取り、
最終的に、あいまいな惨めな人生、空虚な生涯を送ることになってしまうの
です。使徒たちはここではっきりと宣言しています、「人間に従うよりは、
神に従うべきである」と。そして、私たちがその神様の御心を知り、神様の
御声を聞き分けるためには、常に私たちの心と霊の耳を神様に向けている
必要があるのです。そして、私たち自身を聖霊さまに明け渡していく時に、
聖霊さまが私たちに神様の御心がなんであるかを教えて下さるのです。
IT委員 椙森
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2005/7/23 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との
霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、あなたがたの心の目を明らかにして
下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんな
ものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、
また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに
絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。
(エペソ1:17-19)
主イエス・キリストの十字架の血潮の力によって、そのすべての罪が赦され、
神の子と変えられた私たちが、いつも喜びに輝いて生きることを、主は願って
おられます。そのように召された私たちが、もし今、うなだれているとすれば、
私たちはもう一度、主から知恵と啓示との霊をいただく必要があります。そして、
その霊によって、私たちの心の目を開き、私たちに与えられている望み、神の国
の栄光、私たちの内に働く神様の素晴らしい力を知ることができるようにと、
みなさんのために、お祈りいたします。
IT委員 椙森
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2005/7/26 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、
この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。
ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、
「水を飲ませて下さい」と言われた。・・・
イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわ
されたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。
(ヨハネ4:6-7,34)
ここには、イエス様が、「旅の疲れを覚えて」という言葉が記されていま
すが、イエス様がそこまでして、わざわざサマリヤのスカルという町におい
でになられたのは、たった一つの目的のためであったことがその後の記事を
見て、知ることができます。それは、罪の奴隷となってしまっていたこの
サマリヤの女性に福音を語り、救いに導くということであったのです。そして、
滅び行く魂を救いに導くことこそ、イエス様をつかわされた方のみこころで
あり、そのつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げるこ
とこそが、イエス様にとっても、最高の喜びであったのです。
IT委員 椙森
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2005/7/27 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、
「水を飲ませて下さい」と言われた。弟子たちは食物を買いに町に行って
いたのである。すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ
人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっ
しゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかった
からである。イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを
知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知って
いたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらった
ことであろう」。
(ヨハネ4:7-10)
人の心をすべてをご存知である主イエス様のこの「個人伝道」の方法は、実に
私たちの良いお手本です。その後ろめたさのゆえにわざと人通りの一番少ない、
昼の十二時ごろを見計らって来たこのサマリヤの女に対して、ユダヤ人である
イエス様は、自らを低くして、「水を飲ませて下さい」とお願いすることで、相手
を優位に立たせ、まず相手の心を開かせようとしたのです。そして、彼女自身が
水をくみにきたということを知っておられたイエス様は、この井戸の水よりも、
もっと大切なもの、すなわち、「生ける水・命の水」があるということに彼女の
関心を向けさせていくのです。そして、彼女に話しかけている方こそが、その
「生ける水・命の水」の源であるということを彼女自身が悟ることができるよう
に、徐々に彼女の心の奥底まで触れていき、核心を衝く会話へと発展させていっ
たのでした。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、
この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは
自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。
救はユダヤ人から来るからである。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と
まこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような
礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者
も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。
(ヨハネ4:21-24)
「まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。・・
父は、このような礼拝をする者たちを求めておられる」、礼拝についてのこの大切な
真理をイエス様は、このサマリヤの女に解き明かされたのでした。五回も結婚に
失敗をし、自暴自棄になり、何のために生まれてきたのかも、わからずにいたこの
女性に、人がこの世に生まれてきたのは、まことの神様を礼拝するためであることを
教えられたのでした。そのまことの神様を霊とまこととをもって礼拝する時にはじめ
て、人は自分の存在価値を見出し、真の生きる目標・目的を見出すのです。
IT委員 椙森
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2005/7/29 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、
「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。
さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも
知れません」。人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った。・・
あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っている
ではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。
はや色づいて刈入れを待っている。
(ヨハネ4:28-30,35)
なんと水をくみにきたはずのこのサマリヤの女は、イエス様と会話している
内に、いままでに経験したことのない喜び、不思議な感情が自分の内に湧き上
がってくるのを感じたのでした。それは、古くから伝え聞いていたキリストと
呼ばれるメシヤが来られ、そして、自分に話しかけて下さった方こそが、その
待ち望んでいたメシヤかも知れないという思いでした。そして、それを知った
時に、彼女は水がめのことも忘れてしまって、人々にこのことを伝えずにはお
れなくなったのでした。話は飛躍するようですが、イエス様は、この時に、
「畑は色づき、刈入れの時、魂の収穫の時が来た」ことを宣言されたのでした。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
さて、兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前
進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい。
すなわち、わたしが獄に捕われているのはキリストのためである
ことが、兵営全体にもそのほかのすべての人々にも明らかになり、
そして兄弟たちのうち多くの者は、わたしの入獄によって主にある確信を
得、恐れることなく、ますます勇敢に、神の言を語るようになった。
(ピリピ1:12-14)
「万事を益と変えて下さる」主は、使徒パウロが獄に捕らわれていると
いう状況さえも益と変えて下さいました。人間的には、「獄に捕らわれて
いる」ということは、それだけ活動範囲が限定され、縮小されることを
意味するわけですが、しかし、そのことによって多くのクリスチャン達が
勇敢に、しかも大胆に、神の言葉を語るようになったというのです。そして、
その同じパウロは、他の手紙の中では、このように私たちに対して、勧めて
いるのです、「だから、あなたは、わたしたちの主のあかしをすることや、
わたしが主の囚人であることを、決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、
神の力にささえられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい」と。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を
照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも
死ぬ方がわたしにはましだ」。しかし神はヨナに言われた、「とうごまの
ためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りの
あまり狂い死にそうです」。主は言われた、「あなたは労せず、育てず、
一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。
ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの
家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。
(ヨナ4:8-11)
クーラー無しでは生活できないくらい毎日、暑い日が続いています。しかし、
ちょっと極端かも知れませんが、そのクーラーが突然、故障し、使えなくなっ
たら、どうでしょうか。ヨナに限らず、誰しも、クーラーに対して腹を立てた
くなるのではないでしょうか。しかし、私たちの神様は、「道であり、真理であ
り、命である」ただ一人の救い主イエス様を知らないで、滅びに向かって突き
進んでいる、この日本の民が、私たち一人一人の伝道によって、救いに導かれ
ることを何にもまさって、切に願っておられるのです。
IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。
2005/8/3 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の
福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんに
なって、彼らを深くあわれまれた。そして弟子たちに言われた、
「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、
その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。
(マタイ9:35-38)
「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫の
ために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」とイエス様は、弟子たちに
言われました。しかし、私たちは、収穫の主に向かって、どうかその収穫のた
めに働き人を送って下さいと祈る時、どうか、「わたし」ではなく、「他の人」
をつかわして下さいと祈ることはナンセンスです。もし、私たちが主ご自身の
ビジョンを知ったならば、あのイザヤのように、「ここにわたしがおります。
わたしをおつかわしください(イザヤ6:8)」と、まず祈ることが、「筋(すじ)」
というものではないでしょうか。
IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を
宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかって
いる者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につ
かれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたの
で、これらの人々をおいやしになった。こうして、ガリラヤ、デカポリス、
エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの向こうから、おびただしい群衆がきて
イエスに従った。
(マタイ4:23-25)
ここにも、主イエス様のミニストリーの三本柱が記されています。すなわち、
「教えること(Teaching)」、「福音を宣べ伝えること(Preaching)」、そして、「病を
いやすこと(Healing)」です。これらの三つの働きが常に共に働いて、人々は、
イエス様が神からつかわされた方、神の御子であることを徐々に理解していくの
です。と同時に、この三つの働きを弟子たちに見せることによって、習得させ、
そして、次の段階として、弟子たちにも、この三つの働きを委ね、その権威を
授けられたのでした。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
主に信頼して善を行え。
そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。
主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
あなたの義を光のように明らかにし、
あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
(詩篇37:3-6)
5節の「あなたの道を主にゆだねよ」という御言葉の「ゆだねよ」
という言葉には、「玉を転がす」という意味があるそうです、ちょうど、
ボーリングで玉を転がすように。いったん手から離れてしまったボールは、
もう軌道修正することはできません。ただ、お任せするしかないのです。
同じように、いったん主の元に、明け渡した重荷は、もうくよくよと
思い悩む必要はありません。ただ、お任せすれば良いのです。すると、
主はそれをなしとげ、「あなたの義を光のように明らかにし、あなたの
正しいことを真昼のように明らかにされる」という御言葉が成就して
いくのです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストに
よって、わたしたちに勝利を賜わったのである。だから、愛する兄弟たちよ。
堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、
あなたがたは知っているからである。
(Tコリント15:57-58)
主のために一生懸命に奉仕をしたのに、その結果が直ぐに現れてこないの
でがっくりし、失望したことはありませんか。しかし、是非、知って下さい。
私たちの救い主イエス様は、あなたのその奉仕の一部始終をご存知で、見て
おられることを。「主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはない」
と言われた主は、必ず、あなたのその労苦に対して、豊かな報いを与えて下さ
ることを。たとい、それが直ぐでなくても、時が来ると、実を結び、豊かな
刈入れの時が必ず、やって来ます。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至ら
せるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。
すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
(ピリピ2:13-14)
ここには、「神さまのビジョン」について書かれています。「えっ!」と
言われるかも知れませんが、「ビジョン」とは、すなわち、神さまご自身が
わたしたちのうちに働きかけて、その「ビジョン」に対する願いをわたした
ちのうちに起こさせて下さるのだというのです。しかも、その「ビジョン」
に対する願いを実現させて下さるのも、神さまご自身以外の何ものでもない
ということです。そして、その「神さまのビジョン」を実現させるために、
神さまは、わたしたち一人一人を用いることを喜びとされるということです。
ですから、わたしたちは、ただ主に信頼して、すべてのことを、つぶやかず
疑わないで、感謝して、主が示して下さる一つ一つのことを忠実に行って
いこうではありませんか。
IT委員 椙森
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2005/8/11 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して
不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと
同様に払ってやりたいのだ。自分の物を自分がしたいようにするのは、当り
まえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思う
のか』。このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。
(マタイ20:13-16)
聖書の中で、最も理解しにくい「天国の譬え話」の一つです。天国は、ある
家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出
かけて行くようなものであるというのです。彼は労働者たちと、一日一デナリ
の約束をして、彼らをぶどう園に送ります。「夜が明けると同時に」と書かれ
ていますが、正確な時間はわかりません。ところが、夕方五時ごろに雇われて、
結局一時間しか働かなかった労働者たちがまず、それぞれ一デナリずつもらい
ます。そして、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたの
に、彼らも一デナリずつもらっただけであったというのです。この「譬え話」
をとおして、あなたはいったい何を学びますか。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむ
ことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ。あなたは右に左に
ひろがり、あなたの子孫はもろもろの国を獲、荒れすたれた町々をも住民で
満たすからだ。恐れてはならない。あなたは恥じることがない。あわてふため
いてはならない。あなたは、はずかしめられることがない。あなたは若い時の
恥を忘れ、寡婦であった時のはずかしめを、再び思い出すことがない。
(イザヤ54:2-4)
アメリカのレイクウッド・チャーチが7月16日と17日に献堂礼拝を行い、
二日間で57,000人以上の人々が殺到したことが話題になっています。一人
の魂を大切にされる主はまた、すべての人が救われることを切に願っておられる
主であります。多くの批判的、また、消極的な意見にもめげず、御言葉に堅く立
ち、主に全幅の信頼をもって、従う人々に、主が大いなる御業をなされるという
一つの証しであると思います。そして、今、神さまは、日本の教会に対しても、
「幻を高く、もっと高く掲げなさい」と叫んでおられるのです。
IT委員 椙森
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2005/8/13 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべての
ことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。
(Uコリント9:8)
ここには、十全なる神様の私たちに対する十全なる恵みについて書かれて
います。すなわち、私たちの神様は、ある部分的な恵みではなく、「あらゆる
恵み」を、少しだけではなく、「豊かに与え」、時おりではなく、「常に」、ある
面においてだけではなく、「すべてのことに満ち足らせ」て下さるというのです。
そして、これらの恵みのすべては、私たちをして、「すべての良いわざ」におい
て、富むものとなるためであり、その「すべての良いわざ」を行うための原動
力となるためであったのです。
IT委員 椙森
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2005/8/16 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。
さまざまな違った教によって、迷わされてはならない。
食物によらず、恵みによって、心を強くするがよい。
食物によって歩いた者は、益を得ることがなかった。
(ヘブル13:8-9)
「食物によらず、恵みによって、心を強くするがよい」という言葉は、とても
ユニークな表現であると思いませんか。私たち人間は、その「肉」の弱さの
ゆえに、「肉の糧」、すなわち、「食物」のことで心を占領されてしまいやすい
ものです。しかし、主はそのような弱い私たちに「恵み」、すなわち、「霊的な
祝福」に目をそそぐように、常に働きかけて下さるのです。なぜなら、主は、
「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない」ということを
よくご存知だからです。
IT委員 椙森
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2005/8/17 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
天は喜び、地はたのしみ、もろもろの国民の中に言え、「主は王であられる」と。
海とその中に満つるものとは鳴りどよめき、田畑とその中のすべての物は喜べ。
そのとき林のもろもろの木も主のみ前に喜び歌う。
主は地をさばくためにこられるからである。主に感謝せよ、
主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
(歴代志上16:31-34)
「主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」、この御言葉は、
旧約聖書に繰り返し、繰り返し、出てくる御言葉です。それは、この事実に私たち
の心を留めるように、また、繰り返し、「思い起こしなさい」という主の摂理です。
「主が恵みふかい」方であるからこそ、私たちは、主に期待をして、祈り求めること
ができるのです。否、「わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに
越えてかなえて下さることができるかた」であるがゆえに、私たちは、主に感謝せず
には、おれなくなるのです。
IT委員 椙森
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2005/8/18 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。
「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。
御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて
私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」
そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
(歴代志上4:10新改訳)
ある人は、このヤベツの祈りを「自己中心な祈り」、また、「自分勝手な
独りよがりの祈り」と批判します。しかし、神様は、彼の祈りをどのように
受け取られたのでしょうか。その答えは、この最後の「そこで神は彼の願った
ことをかなえられた」という御言葉に集約されているのではないでしょうか。
神様は、この「ヤベツの祈り」に対して、なんの躊躇することもなく、「それ
こそ、わたし(父なる神様)があなた(皆さん一人一人)に願っていることだ」
と言わんばかりに、神様はこの求めを聞き入れられたのでした。
IT委員 椙森
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2005/8/19 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
どうぞ、あなたがたの先祖の神、主があなたがたを、
今あるより千倍も多くし、またあなたがたに約束されたように、
あなたがたを恵んでくださるように。
(申命記1:11)
1998年9月16日の水曜祈祷会において、韓国アッセンブリー教団の
当時総務局長であられた白(ペク)先生が私たちの御影神愛キリスト教会に
特別講師として来られ、その時、このように宣言されたのでした、「日本に
魂の大収穫がやって来ます。神様は、その大収穫の受け皿となるように、この
教会を選ばれました」と。そして、その時、白先生はこのように、私たちに
勧められたのです、「みなさんは、ことある毎に、このように信仰を持って、
告白して下さい、『どうぞ、御影神愛キリスト教会の神、主があなたがたを、
今あるより千倍も多くし、またあなたがたに約束されたように、あなたがたを
恵んでくださるように』」と。
IT委員 椙森
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2005/8/20 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
「神は人のように偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。
言ったことで、行わないことがあろうか、語ったことで、しとげないことが
あろうか。祝福せよとの命をわたしはうけた、すでに神が祝福されたものを、
わたしは変えることができない。だれもヤコブのうちに災のあるのを見ない、
またイスラエルのうちに悩みのあるのを見ない。彼らの神、主が共にいまし、
王をたたえる声がその中に聞える。
(民数記23:19-21)
神様の御言葉と人間の言葉の違い、それは、人間の言葉は本当に頼りになら
ないものであるのに対して、神様の御言葉は確実で、「主が語られたこと」は、
「必ず成る」ということです。人間が、また、悪魔がどれだけ、「主が語られ
たこと」が成就することを阻み、妨害しようとも、「主が語られたこと」は、「必
ず成る」ということです。しかし、ここで一番大切なことは、主が真実なかたで
あることを、私たちが理解し、私たちが人の言葉ではなく、主の御言葉に堅く
立つことを主ご自身が願っておられるということです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者
である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたし
もその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。
(ヨハネ14:21)
私たちは、どのようにすれば、父なる神様の愛を受けられるのでしょうか。
ハッキリ言います。あなたが何をしなくても、あなたは神様にとって、大切で、
高価で尊い存在なのです。しかし、その愛する私たちに父なる神様が願っている
ことがあります。それは、イエス様のいましめを心にいだいてこれを守ることで
あり、愛のうちを歩むということです。そうする時に、父なる神様の愛が私たち
をとおして、あふれ流れ出し、イエス様の愛を私たちは「からだ」で、文字通り、
体験していくようになるのです。
IT委員 椙森
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2005/8/24 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
わたしはこう祈る。あなたがたの愛が、深い知識において、するどい感覚に
おいて、いよいよ増し加わり、それによって、あなたがたが、何が重要である
かを判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところの
ないものとなり、イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほ
まれとをあらわすに至るように。
(ピリピ1:9-11)
聖書が教える「愛」は、決して「溺愛すること」でなければ、「盲目」なもの
でもありません。使徒パウロは、「深い知識において」、また、「するどい感覚に
おいて」、あなたがたの愛がいよいよ増し加わるように、と祈りました。そして、
そのような「愛」は、私たち一人一人が日々、主と交わり、主との親しい関係を
築き上げ、聖霊さまにすべてを明け渡していく時に、可能になり、現に見ている
兄弟姉妹をどのように愛すべきかを、主がさとして下さり、その愛を主が増し加
えてくださるのです。
IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。
2005/8/25 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの
愛のうちにいなさい。もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの
愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その
愛のうちにおるのと同じである。わたしがこれらのことを話したのは、わたしの
喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれる
ためである。
(ヨハネ15:9-11)
神様がアダムとエバのために備えられた「エデンの園」は、神様の臨在が満ちあふ
れ、すべての必要なものが備わった最高の楽園でした。しかし、アダムとエバは、
そのいましめを破ってしまったために、その楽園から追い出されてしまったのです。
しかし、私たちが今、神のひとり子イエス様を信じ、受け入れ、そのいましめを守る
ならば、私たちはもう一度、神様の愛のふところの中に抱かれ、そこが楽園となり、
私たちは、もう一度、「命の木の実」を食べることがゆるされるのです。
IT委員 椙森
※ 今後、このような御言葉の配信をお望みでない方々は、お知らせ下さい。
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、
人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。
(マタイ7:12)
イエス様は、この同じ山上の垂訓の中で、「わたしが律法や預言者を廃する
ためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきた
のである」と語られました。その律法と預言者の完成者であるイエス様が、
私たち一人一人に与えて下さった黄金律、それは、「何事でも人々からして
ほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」ということです。この
いましめのうちを歩む時、私たちは、主の霊が私たちと共におられ、私た
ちのうちに確かに主が働いておられることを身近に感じるようになるのです。
IT委員 椙森
※ 今後、このような御言葉の配信をお望みでない方々は、お知らせ下さい。
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2005/8/27 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、
主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
(マタイ22:37-40)
誠に勝手ながら、本日より9月2日まで、椙森は夏期休暇のため、この
「御言葉の配信」をお休みさせていただきます。この一週間も、聖霊さま
の御助けによって、このいましめのうちを歩み、私たちの生活のすべての
面において、このいましめが私たちの歩みのすべてを貫くものであります
ように。
そして、主の祝福がみなさん一人一人の上に、豊かに注がれますように。
IT委員 椙森
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2005/8/29 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつく
して、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの
隣り人を愛せよ』とあります」。彼に言われた、「あなたの答は正しい。その
とおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。すると彼は自分の立場
を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれの
ことですか」。
(ルカ10:27-29)
この会話は、よくご存知の「良きサマリヤ人の話」の導入部として記されて
いる箇所です。この「良きサマリヤ人の話」が人々に疑問を投げかけ、人々に
チャレンジを与えるのは、聖書を最もよく知っており、助けの手を伸べるであ
ろうと期待していた祭司やレビ人が、半殺しにされ、傷を負った人を見て見ぬ
ふりをして、そこを立ち去ったのに対して、ユダヤ人からは特に嫌われていた
サマリヤ人がこの人にあわれみをかけ、助けの手を伸べたということです。そ
して、イエス様は、私たちに問いかけます、「あなたには、本当に助けを必要と
している人の隣り人になる決意・決心・気持ちがあるのか」、そして、「あなた
も行って同じようにしなさい」と。
IT委員 椙森
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2005/9/3 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリスト
と共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリス
トが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって
生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を
信じる信仰によって、生きているのである。
(ガラテヤ2:19-20)
「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きて
おられるのである」、この宣言は、私たちクリスチャンすべてのものの信仰告白です。
なぜなら、イエス・キリストを救い主として信じ、受け入れるということは、過去の
わたしは「キリストと共に十字架につけられた」と告白することであり、「キリスト・
イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまった」の
です。そのことを認め、告白する時に、よみがえりのイエス様の力、御霊の力、
いのちの御霊が、私たちのうちに力強く働いて下さるのです。
IT委員 椙森
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2005/9/6 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を
閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。子たちよ。
わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって
愛し合おうではないか。
(Tヨハネ3:17-18)
ヨハネが書いたこの第一の手紙には、「愛」という言葉が数え切れない
くらい沢山出てきます。「愛」に満ちた手紙です。しかし、一方で、この
手紙には、「あなたの愛は本物か」と鋭く、私たちの心にメスを入れるか
のような、「厳しさ」があります。耳を覆い、目をそらせたくなるような
御言葉があるのです。しかし、そのような御言葉に、私たちが、目をそら
せるのではなく、真剣に取り組み、御霊の助けによって、この御言葉を行
うものに造り変えて下さいと祈る時に、主はまた一歩、私たちを主の元へ、
近づけて下さるのです。
IT委員 椙森
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2005/9/7 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、
誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この
世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。
割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なの
である。
(ガラテヤ6:14-15)
誇ろうと思えば、誇れるものはいっぱいあったはずの使徒パウロでしたが、
彼はここで自分に言い聞かせ、自分をいましめるかのように、断言しています、
「しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、
誇とするものは、断じてあってはならない」と。そればかりではなく、彼は
ここで、自分が「死んでしまった」ことに大きな意味があることを教えていま
す。なぜなら、自己に死に、自我が死んでしまった時に、はじめて真の主にある
新しき人が私たちのうちにかたち造り上げられていくからです。
IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、
それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶ
ようになる。自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む
者は、それを保って永遠の命に至るであろう。
(ヨハネ12:24-25)
本日、教会員の伊藤恵美子姉の葬儀式が行われました。御遺族にとって、
本当につらく、悲しい別れであったことを覚えます。しかし、御主人をはじ
め、御親族の方々の反対にもめげず、ご本人が生前、キリスト教式の葬儀を
強く願っていたことにより、古くからの因習の強い土地柄であるにもかかわ
らず、列席された多くの方々に、主イエス・キリストの福音を伝える良い機
会になったことを覚え、心から感謝します。これを見る時に、主にある者の
死が、主の前にいかに尊いものであるかを改めて、思い返した次第です。主
が、その僕・伊藤恵美子姉の死をとおして、主に帰依する多くの魂をおこし
て下さるように、そして、豊かな実を結ぶことができるように、引き続きお
祈り下さい。
IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。
2005/9/9 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
イエスは彼らを見つめて言われた、
「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。
(マルコ10:27)
昨年に続いて世界各地において大きな自然災害による被害状況が伝えられて
います。これらのことをとおして、人間の力には、限界があることを思い知ら
されています。一方で、人の力では、どうしてもできないと諦めていたことが
全知全能の神様の御介入により、不思議な方法で、主の栄光の御業が表わされ
てきています。こんな所では絶対に伝道集会を開くことができない、またもし、
伝道集会を開いたとしてもだれも来てはくれないと思える所に、一人のクリス
チャンの葬儀をとおして、まだ、一度も福音を聞くチャンスがなかった多くの
人々が、福音を聞く機会となったことも、驚くべき主の御業というほか、あり
ません。
IT委員 椙森
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。
2005/9/10 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てる
ことがなかった。しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは
初めの愛から離れてしまった。そこで、あなたはどこから落ちたかを思い
起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改め
なければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から
取りのけよう。
(黙示録2:3-5)
黙示録に出てくるこのエペソの教会は、実に素晴らしい教会でした。主
イエス様からその働き(わざ)と労苦と忍耐とが認められ、賞賛されるほ
どでありました。また、悪い働き人、すなわち、使徒と自称してはいるが、
実はにせ者であることを見抜く、鋭い洞察力も備えていたのです。しかし、
彼らにとって致命的な汚点が一つあったのです。それは、いつの間にか、
彼らの内から、主イエス様に対する「初めの愛」、そして、兄弟姉妹に対す
る「兄弟愛」が冷え始めていたということです。どのような素晴らしい働き
をしていたとしても、もし、その「初めの愛」を失ったなら、それはもはや、
人々を照らす燭台、すなわち、教会ではなくなってしまうとイエス様は、
彼らを厳しくいましめられたのでした。
IT委員 椙森
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2005/9/13 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
今の時を生かして用い、そとの人に対して賢く行動しなさい。
いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、
ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。
(コロサイ4:5-6)
「塩で味つけられた、やさしい言葉」とは、いったいどんな言葉なのか、
私よりも、普段料理で塩を使っている主婦の方々のほうが良く理解され
るのでしょうが、ただ確実に言えることは、塩は多すぎては駄目だとい
うことです。小さじのスプーンを使うか、人差し指と親指でつまめる程
度で加減することが大切です。要するに、私たちは語る言葉に細心の
注意を払いながら、語らなければならないということです。そうでないと
相手を励ますどころか、逆に傷つけることにもなりかねません。そのた
めにも、やはり聖霊さまの導きをいつも求め続ける必要があるのです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。
おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、
繁栄があるように。」私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。
「おまえのうちに平和があるように。」私たちの神、主の家のために、
私は、おまえの繁栄を求めよう。
(詩篇122:6-9新改訳)
なぜ、遠く離れたエルサレムのために、しかも紛争の絶えないイスラエ
ルのために、祈らなければならないのかと、ある人は思うかも知れません。
しかし、これは聖書を神の言葉と信ずる者への命令であり、使徒パウロも、
われわれ異邦人クリスチャンに対して、このように勧めています、「しかし
同時に、彼らはかの人々に負債がある。というのは、もし異邦人が彼らの
霊の物にあずかったとすれば、肉の物をもって彼らに仕えるのは、当然だ
からである(ローマ15:27)」と。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。
聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、
アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との
良い知らせを、予告したのである。このように、信仰による者は、信仰の人
アブラハムと共に、祝福を受けるのである。・・・
もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、
約束による相続人なのである。
(ガラテヤ3:7-9,29)
ここには、主イエス・キリストを信じる私たち異邦人も、その信仰のよって
アブラハムの子孫と変えられたことが明確に記されています。言い換えれば、
旧約聖書のイスラエルの歴史のすべては、私たちの父祖たちの歴史ということ
になります。そのように捉える時に、旧約聖書が更に身近なものになり、新約
聖書を含む聖書全体が見えてくるようになり、今まで見えなかった真理に目が
開かれていくのです。そして、同時にイスラエルの平和のために、祈らずには
おれなくなるのです。
IT委員 椙森
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2005/9/16 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたが
すべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。
(Vヨハネ1:2)
健康な人が少々の怪我をしても、回復が早いけれども、病気の人が怪我を
すると、たとえそれが軽いものであっても、回復が遅いといわれています。
同じように、たましいが健康であれば、信仰の試練や問題が起っても、それを
比較的容易に乗り越えることができます。しかし、たましいが病んでいると、
ちょっとした問題が起っても、それにつまずき、命取りになってしまいます。
みなさん一人一人の健康が祝福されますように、お祈りします。そして、それ
にもまして、みなさん一人一人のたましいが恵まれるように、お祈りいたしま
す。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからで
ある。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。なぜなら、
肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い
得ないのである。また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。しかし、
神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、
霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリ
ストのものではない。
(ローマ8:5-9)
ここには、二種類の人物のことが書かれています。というよりも、私たち一人
一人の中に、この二種類の人々が互いに戦いを挑んでいるといったほうが良いかも
知れません。すなわち、肉に従う者(肉の人)と霊に従う者(霊の人)の二種類で
す。明らかなことは、肉にある者は、神様を喜ばせることはできないということで
す。霊によって肉の働きを殺すならば、私たちは生きることができ、神様に喜ばれ
る歩みをなすことができるのです。すなわち、私たちの内にわき起こる肉の思いを
日々、十字架につけて、殺し、聖霊さまを歓迎していくときに、私たちは神様の御
心にかなう者となり、永遠の命と平安を十分に満喫することができるのです。
IT委員 椙森
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2005/9/20 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
彼(ザアカイ)は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かった
ので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。それでイエスを見るために、
前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだった
からである。イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、
「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにして
いるから」。そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。
(ルカ19:3-6)
ザアカイがイエス様についてどのような「うわさ」を聞いていたのか定かであ
りません。「どんな病人をも癒す力ある預言者」、「どんな人でも分け隔てなく受
け入れて下さる慈悲深い人」、そして、「生ける神の子キリスト、メシヤ」など
など。とにかく、取税人の自分にとっては近づきがたい「神の人」と思えたに違
いありません。しかし、そんな彼もイエス様をひと目見るくらいはゆるされるの
ではないかと、いちじく桑の木によじ登ったのでした。しかし、事実はザアカイが
イエス様を見たいと思っていた以上に、イエス様のほうが、ザアカイに会いたいと
願い、イエス様のシステム手帳(予定表?)には、この日、「ザアカイの家に宿泊」
と記されていたのです。
IT委員 椙森
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2005/9/21 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
安息日に、ある会堂で教えておられると、そこに十八年間も病気の霊につかれ、
かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女がいた。イエスはこの女を
見て、呼びよせ、「女よ、あなたの病気はなおった」と言って、手をその上に置か
れた。すると立ちどころに、そのからだがまっすぐになり、そして神をたたえはじ
めた。
(ルカ13:10-13)
「十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くで
きない」ということがどんなに苦しく、辛いことであるか、私たちには到底理解でき
ません。彼女は、思ったに違いありません、「一晩でも良いから、背筋をまっすぐ
に伸ばし、仰向けになってゆっくり寝てみたい・・」と。そのような苦しい状態が
十八年間も続いたのですから、彼女の背筋だけでなく、彼女のものの考え方も
屈折した状態になっていたことを容易に想像できます。しかし、イエス様は、この
女性に目を留められたのです。そして、彼女を呼びよせ、宣言されたのです、
「女よ、あなたの病気はなおった」と。そして、イエス様が彼女の背に手を置くと、
立ちどころに、そのからだがまっすぐになったのでした。彼女は、完全に病から
解放されたのです。サタンの束縛から解放されたのです。その時、彼女にでき
ることは、ただ神様に感謝し、賛美をささげることだけだったのです。
IT委員 椙森
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2005/9/22 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったので、
母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。イエスは
母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。
わたしの時は、まだきていません」。母は僕たちに言った、「このかたが、
あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。
(ヨハネ2:1-5)
結婚式は、世界どこにおいても、また、どの時代においても、人々にとって
大いなる祝福の時です。このガリラヤのカナの婚礼もそうでした。そして、その
婚礼にイエス様と弟子たちも、招かれていたのです。ところが、その祝いの席で
人々をもてなすための大切なぶどう酒がなくなってしまったのです。そのことに
気付いた母マリヤは、素早くそれをイエス様に伝えます。しかし、イエス様は、
その状況をご存知であり、すべてのことには「時」があることを知っておられま
した。すべての答え・解決は、イエス様にあることを理解し始めていたマリヤは、
僕たちに言います、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして
下さい」と。そして、イエス様の公生涯における最初の奇蹟がこのガリラヤのカナ
で行われ、主の栄光が現されたのでした。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。イエスはその
人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に
「なおりたいのか」と言われた。この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く
時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、
ほかの人が先に降りて行くのです」。イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの
床を取りあげ、そして歩きなさい」。すると、この人はすぐにいやされ、床をとり
あげて歩いて行った。その日は安息日であった。
(ヨハネ5:5-9)
三十八年ものあいだ、病気に悩んでいる人、彼は、ベテスダと呼ばれる池のそばに
からだを横たえていました。それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かし、
水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからです。
しかし、イエス様は、この人に向かって、「なおりたいのか」と質問します。彼はこの
イエス様の質問に対して、「はい、なおりたいです」と言うかわりに、「主よ、水が
動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、
ほかの人が先に降りて行くのです」と答えています。この人に向かって、すなわち、
歩くどころか、起き上がることもできなかった人、床の上での生活がすべてであった
彼に向かって、イエス様は、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」
と命令されたのです。そして、この御言葉が、彼の人生を全く変えてしまったのです。
IT委員 椙森
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2005/9/27 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。多くの医者にかかって、
さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばか
りか、かえってますます悪くなる一方であった。この女がイエスのことを聞いて、
群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。それは、せめて、み衣にで
もさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。すると、血の
元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。・・・
イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。
安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。
(マルコ5:25-29,34)
十二年間も長血をわずらっていたこの女性は、心の中で「こんな病気のために、
自分は一生を棒に振らなければならないのか」と叫んでいたに違いありません。
しかし、そんな彼女の心にかすかな光を照らすニュースが彼女の耳に飛び込んで
来たのです。それは、ナザレのイエスと呼ばれる「ダビデの子、メシヤ」が自分
の村のすぐそばを通るという知らせでした。彼女は、藁(わら)をも掴むような
気持ちで、否、「イエス様なら、きっとなおしてくださる」という確信を持って、
また、「せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただける」という信仰と堅い決
心を持って、イエス様に近づき、イエス様のみ衣にさわったのでした。そして、
彼女のその「信仰」が、イエス様の内から癒しの力を強引に引っ張り出して
しまったのです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
そののち、間もなく、ナインという町へおいでになったが、弟子たちや大ぜい
の群衆も一緒に行った。町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとって
ひとりむすこであった者が死んだので、葬りに出すところであった。大ぜいの町
の人たちが、その母につきそっていた。主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、
「泣かないでいなさい」と言われた。そして近寄って棺に手をかけられると、
かついでいる者たちが立ち止まったので、「若者よ、さあ、起きなさい」と言われた。
すると、死人が起き上がって物を言い出した。イエスは彼をその母にお渡しになった。
(ルカ7:11-15)
この女性、やもめにとってこのひとり息子がどれだけ、いとおしい大切な存在であっ
たかは、いうまでもありません。彼女にとってこのひとり息子は、彼女の「唯一の希望・
将来」、そのものであったのです。その自分の命よりも大切であると考えていたひとり
息子が死んでしまったのです。彼女は、「もし、できることならこの子に代わって私が
死ねばよかった」と思ったことでしょう。彼女が悲しみのどん底にあるその境遇を察し、
多くの人々が慰める言葉もなく、彼女につきそっていました。しかし、そこに「命の君」、
イエス様が、弟子たちや大ぜいの群衆と共に、やって来られたのです。イエス様は、
この婦人を見て深い同情を寄せられ、「泣かないでいなさい」と言い、そして近寄って
棺に手をかけられ、「若者よ、さあ、起きなさい」と言われました。そして、この大きな
悲劇が一瞬にして、大いなる主の御業が現される時、大いなる主の栄光をほめたたえる
時と変えられたのです。
IT委員 椙森
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2005/9/29 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている
聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
(ローマ5:3-5)
患難そのものは決して喜ばしいものではありません。それは、私たちの忍耐が
試される時です。その患難が大きなものであればあるほど、私たちは、自分の力
に頼ることをやめ、主に目を向け、全能の主に寄り頼む者と変えられていくでしょ
う。そして、主に寄り頼む時に、どんな患難をも耐え忍ぶ力が主によって与えら
れ、私たちの内に練られた品性が生み出されていくのです。その患難の向こうに
さらにまさった素晴らしい将来が神様によって備えられているという希望が与え
られるのです。そして、私たちが、さらに大きな神様の御計画を受け入れること
ができるような器に造りかえられ、その器の中に、すなわち、私たちの心に聖霊
さまをとおして、神様の愛がさらに豊かに、そして、限りなく注がれてくるので
す。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
そこで、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのか」と尋ねられると、
父親は答えた、「幼い時からです。霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ
入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助け
ください」。イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、
どんな事でもできる」。その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰な
わたしを、お助けください」。
(マルコ9:21-24)
「しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」、これはけがれた
霊につかれた息子の父親、彼のイエス様に対する精一杯の叫びでした。この出来事の
前後を読んで理解できることは、いやしのみ業は、人々の信仰と深い関わりがあると
いうことです。「できますれば、・・」という父親の叫びに対して、イエス様の答えは、
「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」であったことを
私たちはもう一度確認したいと思います。この父親は、イエス様のこの御言葉を聞い
た時に、すぐに叫んでいます、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」と。
そして、この「不信仰なわたしを、お助けください」という叫びこそ、この「私たち」
に、また、この「日本」に必要な叫びではないでしょうか。
IT委員 椙森
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2005/10/1 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手
でさわったもの、すなわち、いのちの言について――このいのちが現れたので、
この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ
知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに
現れたものである――すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたが
たにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるよう
になるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストと
の交わりのことである。これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれる
ためである。
(Tヨハネ1:1-4)
弟子のヨハネは、未だ若い青年の頃に、イエス様から召命・コーリングを受け、
イエス様とその公生涯において寝食を共にするという特権に与りました。イエス様
から「雷の子」とあだ名をつけられる程、非常に気性の激しい青年でしたが、彼は
いつも主のみそば近くで、時にはイエス様の心臓の鼓動が聞こえるほど、み胸近く
に寄りそって、イエス様の口から出るその御言葉を聞いていたのです。「言は神で
あった」とあかしされた「キリスト」は、彼にとって、まさに自分たちが直接聞い
たものであり、目で見たもの、よく見て手でさわったものであったのです。そして、
この神様のひとり子なるイエス様との交わりが、だれも奪うことのできない「満ち
あふれる喜び」を彼と、そして、それを信じ受け入れるすべてのものにもたらした
のです。
IT委員 椙森
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2005/10/4 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしは
そう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしの
ところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
(ヨハネ14:1-3)
十字架にかけられ、まもなく死ぬという運命をよく理解されていたイエス様が
弟子たちとともにされた「最後の晩餐」のメッセージの一つは、「あなたがたは、
心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」ということです。
人間にとって最も大きな恐怖、それは、「死」です。その「死」を目前してイエ
ス様は、「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じ
なさい」と語られたのです。肉体の死は、遅かれ、早かれ、だれしもが経験しま
す。その「死」に対して、私たちはどのように備えていけばよいのでしょうか。
それは、日々、主との交わりを深め、主が与えて下さる愛と平安の中にとどま
りつづけるということです。
IT委員 椙森
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2005/10/5 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで
祈っておられた。すると、シモンとその仲間とが、あとを追ってきた。そしてイエ
スを見つけて、「みんなが、あなたを捜しています」と言った。イエスは彼らに
言われた、「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。
わたしはこのために出てきたのだから」。そして、ガリラヤ全地を巡りあるいて、
諸会堂で教えを宣べ伝え、また悪霊を追い出された。
(マルコ1:35-39)
イエス様の宣教の働きの原動力、それは外でもありません、「イエスは起きて寂し
い所へ出て行き、そこで祈っておられた」とあるように、父なる神様との個人的な
交わり、すなわち、ディボウションでした。これ無くして、クリスチャンにとって
勝利はありません。もう一度言います。主との親密な交わり、ディボウションなく
しては、多くの困難と誘惑の渦巻くこの世界において、勝利の信仰生活はあり得ま
せん。「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れな
い力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるため
である(Uコリント4:7)」。
IT委員 椙森
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2005/10/6 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたで
あるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、
神の言はわたしたちのうちにない。
(Tヨハネ1:9-10)
私たちは皆、多くのあやまちを犯すものです。特に、言葉の上でしばしば多くの
あやまち、失敗を犯すものです。しかし、大切なことは、罪を犯し、それを聖霊さ
まによって指摘されたなら、すぐに、主の十字架のもとに行き、その罪を主に告白
することです。そして、自分の罪を告白するならば、主の御言葉の約束のごとく、
「神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたした
ちをきよめて下さる」のです。そして、その罪から解放され、私たちはもう一度、
主との交わりを回復し、神様の光の中を歩むことができるように、私たちの歩みを
主が修復・修正して下さるのです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながって
いよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことが
できないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことがで
きない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつ
ながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結
ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
(ヨハネ15:4-5)
ある人は、「神様に頼る人は弱い人だ」と考えます。そうかも知れません。しか
し、私はこのように質問したいのです、「あなたは永遠の命を持っていますか。
また、あなたは死後の世界に対して希望を持っていますか」と。私たちは、永遠に
生きておられるまことのぶどうに木であるイエス様によってのみ、いつまでも残る
実を結ぶことができるのです。そして、これは、クリスチャンになって何年経って
も変わらない真理です。私たちは、まことのぶどうに木であるイエス様から離れて
自立など、ありえないのです。私たちは、まことのぶどうに木であるイエス様から
離れては、何一つできないからです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、
全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。
(マタイ24:14)
このマタイ24章には、「世の終わりの前兆」について記されています。「偽キリ
スト、偽預言者の出現、戦争と戦争のうわさ、あちこちに、ききんと大地震があり、
また、クリスチャンに対する迫害、不法がはびこり、多くの人の愛が冷える」等々。
イエス様が預言された「世の終わりの前兆」は今、現実のものとなっています。し
かし、ここで特に注目したいことは、そのような困難な時代の中にあって、「この
御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられる
であろう」ということです。すなわち、「そのとき、主の名を呼び求める者は、みな
救われるであろう」という預言の成就は、先に救われた私たちクリスチャン一人一人
の宣教にかかっているのです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちは
イエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯し
たためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。イエスは答えられた、
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神の
みわざが、彼の上に現れるためである。
(ヨハネ9:1-3)
私たちがしばしば犯す間違いの一つは、他の人が何かハンディを持っていたり、
また、何か不幸と見える状況の中にある人々を見ると、すぐに、それをその人、
また、その家族の罪の結果として結びつけようとすることです。しかし、イエス様は、
この人が生まれつき盲人なのは、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が
犯したのでもない」と明言されました。そして、イエス様はここで、その状況の原因
ではなく、そこにある神様の目的に、目を向けるように、弟子たちを促されたのです。
すなわち、どのようなマイナスと見える状況も、主にあっては、神のみわざが現れる
ために、神様の栄光が現れるために用いられるのだと、主は語られたのです。
IT委員 椙森
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2005/10/12 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
主はモーセに言われた、「アロンに言いなさい、『あなたがともし火をともす時は、
七つのともし火で燭台の前方を照すようにしなさい』」。アロンはそのようにした。
すなわち、主がモーセに命じられたように、燭台の前方を照すように、ともし火を
ともした。
(民数記8:1-3)
旧約聖書の幕屋は、天にあるもの、また、やがて来たるべきもののひな型である
ということをみなさんは、よくご存知です。ここでは、七つのともし火を持つ燭台
がその燭台の前方を照すのであると記されています。旧約聖書にしばしば出てくる
この「七つのともし火を持つ燭台」とは、いったい何を象徴しているのでしょうか。
黙示録の4章5節後半にこのように記されている箇所があります、「また、七つの
ともし火が、御座の前で燃えていた。これらは、神の七つの霊である」と。「神の
七つの霊」、すなわち、聖霊さまのことです。この聖霊さまの光が幕屋の中を照ら
し、また、机の上にある「供えのパン」を照らしたのでした。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。
ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。それらの燭台の間に、足までたれた
上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の
毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。
その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろ
きのようであった。
(黙示録1:12-15)
黙示録のこの箇所にも、「七つの金の燭台」という言葉が出てきます。しかし、
この箇所の燭台は、複数形、すなわち、燭台が「七つある」のが見えたというこ
とです。そして、この「七つの金の燭台」が何を意味するかについては、この同じ
章の中に記されています、「あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の
燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、
七つの燭台は七つの教会である(1:20)」ということです。そして、「七つ」と
いう数字が完全数を表わすものであると考えると、この「七つの金の燭台」とは、
すべての時代の、全世界に散在するすべての地方教会を指すものであり、また、
すべての教会を代表しているものであると考えることができるのです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
わたしと語った天の使がまた来て、わたしを呼びさました。わたしは眠りから
呼びさまされた人のようであった。彼がわたしに向かって「何を見るか」と言った
ので、わたしは言った、「わたしが見ていると、すべて金で造られた燭台が一つ
あって、その上に油を入れる器があり、また燭台の上に七つのともしび皿があり、
そのともしび皿は燭台の上にあって、これにおのおの七本ずつの管があります。
(ゼカリヤ4:1-2)
眠りから呼びさまされたゼカリヤもまた、「すべて金で造られた燭台」を見たの
です。しかし、彼が見たこの「すべて金で造られた燭台」は、単数形、すなわち、
一つの燭台を見たのです。この一つの燭台の上に七つのともしび皿があり、これに
おのおの七本ずつの管があったのです。すなわち、私たちがしばしば見かける現在
のイスラエル共和国の国章でもあるあの七枝の燭台です。もし、黙示録の「七つの
燭台は七つの教会である(1:20)」という御言葉をこの箇所にも適用すると、彼は
「一つの教会」を見たということになります。そして、新約聖書に記されたやがて
来たるべき教会、「しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷の
ない栄光の姿の教会(エペソ5:27)」もまた実は、単数形、すなわち、一つの教会、
一つの燭台なのです。
IT委員 椙森
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2005/10/15 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
「わたしが見ていると、すべて金で造られた燭台が一つあって、その上に油を
入れる器があり、また燭台の上に七つのともしび皿があり、そのともしび皿は
燭台の上にあって、これにおのおの七本ずつの管があります。また燭台のかた
わらに、オリブの木が二本あって、一本は油をいれる器の右にあり、一本は
その左にあります」。わたしはまたわたしと語る天の使に言った、「わが主よ、
これらはなんですか」。わたしと語る天の使は答えて、「あなたはそれがなんで
あるか知らないのですか」と言ったので、わたしは「わが主よ、知りません」と
言った。すると彼はわたしに言った、「ゼルバベルに、主がお告げになる言葉は
これです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたし
の霊によるのである。
(ゼカリヤ4:2b-6)
七枝の燭台が、「一つの教会」を指すものだとすると、全世界に散在する地域教
会がどうして「一つの燭台・一つの教会」に成りうるのでしょうか。それはまさに、
「これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」とあるように、
聖霊さまの働きによるものです。そして、これこそが、イエス様が十字架につけら
れる前に祈られた「祈り」、すなわち、「わたしが彼らにおり、あなたがわたしにい
ますのは、彼らが完全に一つとなるため(ヨハネ17:21-23)」であったのです。そし
て、主の来臨が近づいた今、聖霊さまは、このイエス様の願い、また、父なる神様
の願いを成し遂げるために、すべての教会の中に、そして、クリスチャン一人一人
の中に豊かに働いておられるのです。
IT委員 椙森
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2005/10/18 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが
召されたその召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ柔和であり、
寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、平和のきずなで結ばれて、聖霊による
一致を守り続けるように努めなさい。からだは一つ、御霊も一つである。
あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。
主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべての
ものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。
(エペソ4:1-6)
ここにも「一つ」、「一つ」という言葉が繰り返し、出てきます。イエス・キリス
トを信じる者が「一つとなる」こと、それは、イエス様の切なる願いであり、祈り
でした。そして、ここで、使徒のパウロは、私たちに向かって「聖霊による一致を
守り続けるように努めなさい」と教えています。私たちが一つとなるためには、一
人一人の自我が砕かれる必要があります。それは、決して容易なことではありませ
ん。しかし、私たち一人一人が熱心に聖霊さまを求め、聖霊さまにすべてを明け渡
していくならば、聖霊さまが私たちのために、最善をなして下さることを信じます。
なぜなら、聖霊さまは、「聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さる
(ローマ8:27)」お方だからです。
IT委員 椙森
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2005/10/19 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ
働きをしてはいないように、わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つの
からだであり、また各自は互に肢体だからである。
(ローマ12:4-5)
「十人十色」という言葉がありますが(聖書ではありません)、十人集まれば、
みんな一人一人、ものの考え方、好き嫌い、得意不得意も異なっているという
ことです。そんな私たちにただ一方的に、「一つになりなさい」と言われても、
少し抵抗を感じるというのは、ある意味において当然のことです。神さまが私た
ち一人一人をそのように、ユニークな存在として創造して下さったのですから。
聖書が教える、「一致」とは、「複製した同じロボットのようになりなさい」と
言っているのではなく、互いの違いを認め合い、「主イエス・キリストを信じる
信仰による一致」、「御霊による一致」を目指しなさいと教えているのです。
IT委員 椙森
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2005/10/20 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
それから、ふたり(パウロとシラス)を外に連れ出して言った、「先生がた、
わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。ふたりが言った、
「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。
(使徒16:30-31)
「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」、この質問とそれに
対するパウロの回答ほど、福音の真理を明快に語っている箇所はありません。勿論、
この状況の中では、くどくどと説明することは賢明でないとパウロはとっさに判断し
たのでしょう。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救わ
れます」、これがパウロの答えでした。しかし、聖書は、次の節でこのように記して
います、「それから、彼とその家族一同とに、神の言を語って聞かせた」とあります。
私たちもまた、私たちのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁
明のできる用意をしておきたいものです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国に
はいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、
天国でいちばん偉いのである。また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、
わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
(マタイ18:2-5)
イエス様は、ここで「あなたがたはもっと、幼な子をよく見て、彼らから
学びなさい」と教えています。「心をいれかえて幼な子のようになる」とは、
いったいどういう意味でしょうか。幼な子ような「素直な心」、また、「疑う
ことをしないで、そのままを受け入れる心」、お父さん・お母さんに完全に
信頼し、「頼りきった心」・・。父なる神さまは、私たち一人一人にそのような、
完全に頼りきった心、信仰を求めておられ、そして、それをお喜びになられる
のです。
IT委員 椙森
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2005/10/22 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなた
がたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開い
てくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、
聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださる
ように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど
大きなものであるか、悟らせてくださるように。
(エペソ1:17-19新共同訳)
聖書は他の箇所で、「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは
神の知恵にかなっています(Tコリント1:21)」、とも記しています。私たちが、神様
を正しく、また、深く知るためには、どうしても神様が与えてくださる「知恵と啓示
との霊」が必要なのです。そして、この「知恵と啓示との霊」は、求める者に豊かに
注がれるのです。ですから、聖書は、このようにも教えています、「求めよ、そうすれ
ば、与えられるであろう。・・すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者
はあけてもらえるからである。・・天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらな
いことがあろうか(ルカ11:9-13)」と。
IT委員 椙森
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2005/10/25 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていたとき、再びエレミヤに次のような主の
ことばがあった。「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である
方がこう仰せられる。わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの
知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
(エレミヤ33:1-3新改訳)
エレミヤは、神の言葉を語ったために、ユダの王ゼデキヤによって監視の庭のうちに
監禁されていました。エレミヤにとって、もはや絶体絶命、まさに四面楚歌という状況
の中で、主が彼に語られた御言葉は、「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに
答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」だったので
す。四方から患難を受けていながらも、なお、主は彼の前に、「だれも閉じることので
きない門(黙示3:8)」を開いておいて下さったのです。今、みなさんの中で、患難・試
練の中にある方がおられますか。主はあなたに語っておられるのです、「わたしを呼べ。
そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、
あなたに告げよう」と。
IT委員 椙森
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2005/10/26 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に
思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」
のである。そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったの
である。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
(Tコリント2:9-10)
確かに、私たちは神様の御心を完全に理解することは、不可能かも知れません。
しかし、神様は、ご自身の御心・御計画をもっともっと、「ご自分を愛する者たち」、
すなわち、クリスチャンに知って欲しいと願っておられるのです。そして、神様が
その御心を私たちに教える方法として選ばれたのは、「御霊によって啓示する」と
いう方法だったのです。そして、私たちがこの「真理の御霊」なる聖霊さまにすべ
てを明け渡して行く時に、主は私たちを「あらゆる真理」に導いて下さるのです。
IT委員 椙森
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2005/10/27 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。
あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子
にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事で
した。すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれである
かは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父
をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」。
(ルカ10:21-22)
ここには、驚くべき事実が記されています。すなわち、父なる神様は、素晴ら
しい神様の真理をあえて「知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわして
くださった」と記されているのです。しかも、イエス様は、「これはまことに、
みこころにかなった事でした」と言いながら、父なる神様に感謝をささげておら
れるのです。このことにおいても、私たちが「心をいれかえて幼な子のようにな
る」ということがどれだけ、大きな祝福をもたらすかを知ることができます。そ
して、聖書はさらに言います、「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、
神の子である(ローマ8:14)」と。
IT委員 椙森
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2005/10/28 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、
強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な
者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、
無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、
神のみまえに誇ることがないためである。
(Tコリント1:27-29)
この御言葉によって、私自身、何度励まされてきたか、わかりません。人は
みな、その頻度の差こそあれ、自分の「愚かさ」や「弱さ」を嘆きたくなるような
時があるのではないでしょうか。また、何か失敗をした時に、自分は本当に、
「取るに足らない、無きに等しい者」と感じることがあるのではないでしょうか。
しかし、神様はここで、そのような、「愚かな者」、「弱い者」、「無きに等しい者」
をあえて、すなわち、御計画があって、選ばれたのであると記しているのです。
そして、その目的、御計画とは、「知者をはずかしめるため」であり、「強い者を
はずかしめるため」であり、また、「有力な者を無力な者にするため」であり、
そして、それは、「どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないため」である
と聖書は、教えているのです。
IT委員 椙森
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2005/10/29 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるの
であって、あなたがたの知る限りではない。ただ、聖霊があなたがたにくだる時、
あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはて
まで、わたしの証人となるであろう」。
(使徒1:7-8)
みなさんは、この御言葉がペンテコステ、すなわち、五旬節の日に成就したという
ことをよく聞かれていると思います。しかし、使徒行伝2章の五旬節の日に成就した
ことというのは、この聖霊の傾注の初めの一滴(ひとしずく)にすぎないのです。
すなわち、この8節の「エルサレム」という一区画でなされた一つの御業にすぎない
のです。もちろん、このことをとおして、初代教会が誕生したのですから、そこに
大きな意味があることは事実です。しかし、聖霊の傾注の目的は、主イエス・キリス
トを信じるすべての人が、聖霊に満たされて、「ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の
はてまで、わたし(イエス様)の証人となる」ためであり、この日本に住むすべての
人々が、主イエス・キリストの十字架と復活の福音を、私たちをとおして、聞くとい
うことをも、意味しているのです。
IT委員 椙森
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2005/11/1 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この
人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につ
けて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名
によるのである。このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかし
ら石となった石』なのである。この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる
名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
(使徒行伝4:10-12)
「美しの門」で生まれながらの足のきかない男が、完全にいやされたことによって、
ペテロとヨハネに主イエス・キリストの福音を証しする機会が与えられ、宣教の働き
は、大きく前進していきました。そのペテロの弁明の中で、彼は、二つの大きな真理
を私たちにもう一度、確認させてくれます。すなわち、主イエス・キリストの「御名」
に「癒しの力」があるということ、もう一つの真理は、主イエス・キリストの「御名」
には、私たちを「救う力」があるということです。主イエス・キリストの御名は、ピ
リピ(2:9-10)にも記されているように、「神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさ
る名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地
下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、『イエス・キリス
トは主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するため」に立てられた、すべてに
まさる偉大な「御名」なのです。
IT委員 椙森
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2005/11/2 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、
わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、
あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する
者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、
あなたによって祝福される」。アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも
彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。
(創世記12:1-4)
主が、アブラムにこのみ声をかけられたのは、彼が七十五歳の時であったと聖書は、
証言しています。それまで、彼がどのような生活をしていたか、聖書はあまり詳しく
記していません。ヘブル書では、この箇所を「信仰によって、アブラハムは、受け継
ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て
行った(ヘブル11:8)」と解説しています。信仰がなければ、どうして、行き先を知ら
せて下さらない主に従うことができるでしょう。いや、たとえ信仰があったとしても、
七十五歳になったアブラムが住み慣れた土地を離れるということは、大きな決断であっ
たことを覚えます。彼にとっては、まさに毎日が、主に対する献身であり、礼拝であっ
たのです。
IT委員 椙森
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2005/11/4 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
そして主は彼(アブラム)を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数える
ことができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのよう
になるでしょう」。アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。
また主は彼に言われた、「わたしはこの地をあなたに与えて、これを継がせようと、
あなたをカルデヤのウルから導き出した主です」。
(創世記15:5-7)
この時、アブラハムには、まだ約束の子イサクはいませんでした。しかし、彼は
望み得ないのに、なおも望みつつ信じたのです。そして、およそ百歳となった時、
彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めなが
らも、なお彼の信仰は弱らなかったのです。彼は、神様の約束を不信仰のゆえに
疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神様に帰し、神様
はその約束されたことを、また成就することができると確信したのです。そのため
に、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、彼は多くの国民の
父となったのでした。
IT委員 椙森
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2005/11/5 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は
言った、「ここにおります」。神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子
イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。
アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクと
を連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。三日目に、
アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。
(創世記22:1-4)
「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが
示す山で彼を燔祭としてささげなさい」、アブラハムがこの主のみ声を聞いた時の戦い、
葛藤を言葉で表現することはできません。しかし、彼は信仰によって、主の御言葉に
従う決心をしたのです。そして、彼は朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの
若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に
出かけたのです。そして、はるかにその場所を見た時に、彼は若者たちに言います、
「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼
拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」と。彼がここで使った、「礼拝」と
いう言葉が持つ重みと意味を私たちはもう一度、思い起こしたいのです。
IT委員 椙森
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2005/11/8 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを
並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。そしてアブラハムが手を
差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、
「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使が言
った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、
あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者
であることをわたしは今知った」。
(創世記22:9-12)
信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげたのです。すな
わち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのです。この子については、
「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのでした。
彼は、神様が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのです。です
から彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけです。新約のヤコブ書では、
アブラハムのこの行いを高く評価し、「わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサク
を祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。あなたが知ってい
るとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、
こうして、『アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた』という聖
書の言葉が成就し、そして、彼は『神の友』と唱えられたのである(ヤコブ2:21-23)」
と記しています。
IT委員 椙森
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2005/11/9 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
イサクはその地に種をまいて、その年に百倍の収穫を得た。このように主が彼を祝福さ
れたので、彼は富み、またますます栄えて非常に裕福になり、羊の群れ、牛の群れ及び多
くのしもべを持つようになったので、ペリシテびとは彼をねたんだ。・・
彼はそこからベエルシバに上った。その夜、主は彼に現れて言われた、「わたしはあな
たの父アブラハムの神である。あなたは恐れてはならない。わたしはあなたと共におって、
あなたを祝福し、わたしのしもべアブラハムのゆえにあなたの子孫を増すであろう」。
(創世記26:12-14,23-24)
主なる神様は、アブラハムとの契約のゆえに、その子イサクをも、祝福されました。
「信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した
(ヘブル11:20)」とあるように、彼もまた、その父アブラハムの信仰を受け継いだの
です。そして、主が彼と共におられたので、彼は祝福を受け、彼は富み、またますます
栄えて非常に裕福になり、羊の群れ、牛の群れ及び多くのしもべを持つようになったの
でした。
IT委員 椙森
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2005/11/10 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、一つの所に着いた時、日が
暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。
時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の
使たちがそれを上り下りしているのを見た。そして主は彼のそばに立って言われた、
「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、
あなたと子孫とに与えよう。あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、
南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。わたしは
あなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る
であろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。
(創世記28:10-15)
雲の切れ間から射し込む光の柱を、「ヤコブの梯子(はしご)」と人々は呼びます。その
語源がここにあります。主イエス・キリストの十字架のあがないによって救われた者にも、
十字架という梯子をとおして、天国に行く道を主が開いて下さったことを感謝します。それ
ばかりでなく、私たちは日々の信仰生活においても、この十字架という梯子をとおして、
主のみ顔を拝し、また、この地上の世界において、インマヌエルの神、主の恵みを証し
する者として、つかわれされていることを感謝します。
IT委員 椙森
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2005/11/11 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
さてヤコブがパダンアラムから帰ってきた時、神は再び彼に現れて彼を祝福された。
神は彼に言われた、「あなたの名はヤコブである。しかしあなたの名をもはやヤコブと
呼んではならない。あなたの名をイスラエルとしなさい」。こうして彼をイスラエルと
名づけられた。神はまた彼に言われた、「わたしは全能の神である。あなたは生めよ、
またふえよ。一つの国民、また多くの国民があなたから出て、王たちがあなたの身か
ら出るであろう。わたしはアブラハムとイサクとに与えた地を、あなたに与えよう。
またあなたの後の子孫にその地を与えよう」。
(創世記35:9-12)
「イスラエル(「神の王子」の意)」という名前は、すでにヤコブがペニエル(「神の
御顔」の意)と呼ばれた所において、神の使(神の人)と力を争って勝った時に、す
でに与えられていた名前ですが、ベテル(「神の家」の意)、すなわち、彼がさきに兄
エサウの顔を避けてのがれた時、彼に現れた神に祭壇を築き直した際に、神様は
正式にこの名を命名し、アブラハムとイサクとに与えた祝福の契約を彼とも新たに結
ばれたのでした。このようにして、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という
名前が、イスラエルの神の永遠の御名となり(出3:15)、また、私たちクリスチャンの
神の呼び名となったのです。
IT委員 椙森
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2005/11/12 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
ときにパロの娘が身を洗おうと、川に降りてきた。侍女たちは川べを歩いていたが、
彼女は、葦の中にかごのあるのを見て、つかえめをやり、それを取ってこさせ、あけて
見ると子供がいた。見よ、幼な子は泣いていた。彼女はかわいそうに思って言った、
「これはヘブルびとの子供です」。そのとき幼な子の姉はパロの娘に言った、「わたしが
行ってヘブルの女のうちから、あなたのために、この子に乳を飲ませるうばを呼んでま
いりましょうか」。パロの娘が「行ってきてください」と言うと、少女は行ってその子の
母を呼んできた。パロの娘は彼女に言った、「この子を連れて行って、わたしに代り、乳
を飲ませてください。わたしはその報酬をさしあげます」。女はその子を引き取って、こ
れに乳を与えた。その子が成長したので、彼女はこれをパロの娘のところに連れて行った。
そして彼はその子となった。彼女はその名をモーセと名づけて言った、「水の中からわた
しが引き出したからです」。
(出エジプト2:5-10)
この出来事の背景には、ヨセフのことを知らない別な王が、エジプトに起り、この王が、
イスラエルの部族に対し策略をめぐらして、彼らを虐待し、その幼な子らを生かしておか
ないように捨てさせたという背景があります。エジプトびとは彼らの上に監督をおき、重
い労役をもって彼らを苦しめたのです。また、エジプトびとはイスラエルの人々をきびし
く使い、つらい務をもってその生活を苦しめたのです。すなわち、しっくいこね、れんが
作り、および田畑のあらゆる務に当らせたのですが、そのすべての労役はきびしかったと
聖書は記しています。モーセが生れたのは、ちょうどこのころのことでした。彼はまれに
見る美しい子でした。三か月の間は、父の家で育てられたのですが、そののち捨てられた
のを、パロの娘が拾いあげて、自分の子として育てたのです。モーセはエジプト人のあら
ゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった(使徒7:22)と、ステパノは語っ
ています。
IT委員 椙森
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2005/11/15 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、
罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、
キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、
彼が報いを望み見ていたからである。信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、
エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとお
した。
(ヘブル11:24-27)
エジプトの王パロの娘の子として育てられ、エジプト人のあらゆる学問を教え
込まれ、言葉にもわざにも、力があったモーセは、四十歳になった時、自分の兄
弟であるイスラエル人たちのために尽すことを、思い立ち、解放を試みるのです
が、彼は完全に失敗してしまいます。そして、彼は、ミデヤンの地に行き、そこ
で、神様の働きは、政治的な権力や権勢、また、人間的な能力によっては、なす
ことができないということを痛いほど、知るのです。そして、彼は、そのシナイ
山の荒野において、羊飼いの心を養うことを主から学ばされるのです。そして、
また、彼は、ひたすら「神の時」を待つことを、教えられるのです。
IT委員 椙森
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2005/11/16 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
多くの日を経て、エジプトの王は死んだ。イスラエルの人々は、その苦役
の務のゆえにうめき、また叫んだが、その苦役のゆえの叫びは神に届いた。
神は彼らのうめきを聞き、神はアブラハム、イサク、ヤコブとの契約を覚え、
神はイスラエルの人々を顧み、神は彼らをしろしめされた。
(出エジプト2:23-25)
私が出エジプト記を読んでいて、最も励まされ、慰められ、また、最も興奮
する箇所です。それは、イスラエルの苦役のゆえの叫びを神様ご自身が聞き届け、
神様ご自身が立ち上がられたという箇所だからです。24節・25節の御言葉を
このように、置き換えて読んでみて下さい、「神はあなたのうめきを聞き、神は
あなたとの契約を覚え、神はあなたを顧み、神はあなたをしろしめされた」の
です。アァメン。
IT委員 椙森
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2005/11/17 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えて
いるのに、そのしばはなくならなかった。モーセは言った、「行ってこの大きな見ものを
見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう」。主は彼がきて見定めようとするのを見、
神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」
と言った。神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。
あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。また言われた、「わたしは、
あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。モーセは
神を見ることを恐れたので顔を隠した。
(出エジプト3:2-6)
イスラエルの歴史を決定的に変えてしまった出来事がここに記されています。全知全能
なる神様が直接、人(モーセ)に語りかけ、ご自身の栄光(シャカイナ・グローリー)を
現されたということです。しかし、みなさんに是非、知って欲しいことがあります。この
全知全能の神様は、また、遍在(広く行き渡っていて、どこにでも存在していること)の
神様であるということを。モーセに語りかけた全知全能の神様は今、あなたのすぐそばに
もおられるのです。私たちは皆、一人残らず、神様のうちに生き、動き、また、存在して
いるからです。
IT委員 椙森
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2005/11/18 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、
また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。
わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、
良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジ
びと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。いまイスラエルの人々
の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえた
げを見た。さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人
人をエジプトから導き出させよう」。
(出エジプト3:7-10)
全知全能の主なる神様は、その深いみ心により、ご自身のご計画を成し遂げるために、
不完全な人間を用いることを良しとされました。しかも、時としてそれは、人々が予想も、
考えもしなかった人々を神様は、あえて用いられることがあるのです。すなわち、あの
四十年前、解放を試み、失敗し、ミデアンの地にのがれて、そこで羊飼いとして生活を
していた八十歳の一人の老人を選ばれたのです。すなわち、「だれが、君を支配者や裁判
人にしたのか』と言って排斥されたこのモーセを、神様は、柴の中で彼に現れた御使の
手によって、支配者、解放者として、おつかわしになったのです。
IT委員 椙森
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2005/11/19 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
モーセは神に言った、「わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ
行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」。神は言われた、
「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。
あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えるであろう」。
(出エジプト3:11-12)
四十年もの間、ミデアンの地で羊飼いとして生活をしていた年老いたモーセにとって、
二百万人近いイスラエル人を「エジプトから導き出せ」との召しを受けた時、「自分には
できない、また、自分は適当でない、相応しくない」と思えたのも、無理はありません。
そのモーセに対して、神様が与えた約束、しるしは、「わたしは必ずあなたと共にいる。
これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである」ということでした。そして、新約の
大牧者イエス様は、私たちに対してこのように語っておられるのです、「見よ、わたしは
世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである(マタイ28:20)」、「安かれ。父がわ
たしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす(ヨハネ20:21)」
と。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの
人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところ
へつかわされました』と」。神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言い
なさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、
わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これ
は世々のわたしの呼び名である。
(出エジプト3:14-15)
「わたしは、有って有る者」という言葉は、英語では“I AM THAT I AM(KJV)”と訳さ
れていますが、この"AM"を人々は永遠の現在形と呼んでいます。「御子は、見えない
神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかた(コロサイ1:15)」と
あかしされたイエス様ご自身も繰り返し、この“I AM ”という表現を使っておられます。
興味深い箇所として、イエス様はある時、このように語られました、「よくよくあなたが
たに言っておく。"before Abraham was born, I AM!"、アブラハムの生れる前からわたしは、
いるのである(ヨハネ8:58)」。そうです、イエス・キリストは、きのうも今日も、また
永遠に変わることのない方なのです。
IT委員 椙森
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2005/11/24 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
モーセは言った、「しかし、彼らはわたしを信ぜず、またわたしの声に聞き従わない
で言うでしょう、『主はあなたに現れなかった』と」。主は彼に言われた、「あなたの手に
あるそれは何か」。彼は言った、「つえです」。また言われた、「それを地に投げなさい」。
彼がそれを地に投げると、へびになったので、モーセはその前から身を避けた。
主はモーセに言われた、「あなたの手を伸ばして、その尾を取りなさい。――そこで手を
伸ばしてそれを取ると、手のなかでつえとなった。――これは、彼らの先祖たちの神、
アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、あなたに現れたのを、彼らに
信じさせるためである」。
(出エジプト4:1-5)
聖書の他の箇所で、「わたしの名は不思議です(士師記13:18)」という言葉が出てきま
すが、出エジプトの歴史は、まさにその「不思議」の連続です。そして、私たちを「罪の
奴隷の家」から解放して下さった主イエス・キリストもまた、「しるしと不思議」をもっ
て、私たちを「約束の地」、「天の御国」へと導いて下さるお方です。そして、その主は
あなたにも問いかけておられるのです、「あなたの手にあるそれは何か」と。主は、あなた
がすでに主から与えられているもの(また、賜物)を用いて、主の栄光を現そうとしておら
れるのです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
この人が、人々を導き出して、エジプトの地においても、紅海においても、また
四十年のあいだ荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。この人が、イ
スラエル人たちに、『神はわたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟たちの
中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう』と言ったモーセである。この人が、
シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、
生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。
(使徒行伝7:36-38)
モーセもまた、大きな挫折を経験した人であり、完全な人間ではありませんでした。
しかし、神様は、そのモーセをとおして、イスラエル人をエジプトの奴隷の家から解
放するという大きなみ業を現されたのです。神様は、モーセをとおして、奇跡としる
しを行い、イスラエルの生活の規範となるべき律法を、彼をとおして、イスラエル人
に与えられたのです。このモーセは、神様がつかわされる、やがて来るべきもうひとり
の預言者について語りました。そのもうひとりの預言者とは、律法の行いによる神の
義ではなく、信仰による神の義に導くお方、すなわち、私たちの救い主イエス・キリ
ストについて、彼は語ったのです。すなわち、「律法はモーセをとおして与えられ、
めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおして(ヨハネ1:17)」、私たちに豊かに
与えられたのです。
IT委員 椙森
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2005/11/26 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の
下におり、みな海を通り、みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。
また、みな同じ霊の食物を食べ、みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らに
ついてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。
(Tコリント10:1-4)
出エジプトしたイスラエルの民は、四十年の間、荒野において主からの訓練を受ける
ことになります。それは「あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、
あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった(申命記8:2)」とあるとおりで
す。ある時には、かわいた地を通り、飲む水がなくて、民がモーセに向かってつぶやい
たこともありました。しかし、主はその時、岩に命じて水を出させ、民の渇きを潤した
のでした。使徒パウロは、御霊の啓示を受けて、「この岩はキリストにほかならない」
と解説しています。そして、この岩なるキリストは今も、叫んでおられるのです、
「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい」と。
IT委員 椙森
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2005/11/29 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
主はモーセに言われた、「あなたがたはこの会衆を離れなさい。わたしはただちに
彼らを滅ぼそう」。そこで彼らふたりは、ひれ伏した。モーセはアロンに言った、
「あなたは火ざらを取って、それに祭壇から取った火を入れ、その上に薫香を盛り、
急いでそれを会衆のもとに持って行って、彼らのために罪のあがないをしなさい。
主が怒りを発せられ、疫病がすでに始まったからです」。そこで、アロンはモーセの
言ったように、それを取って会衆の中に走って行ったが、疫病はすでに民のうちに
始まっていたので、薫香をたいて、民のために罪のあがないをし、すでに死んだ者と、
なお生きている者との間に立つと、疫病はやんだ。
(民数記16:44-48)
エジプトの奴隷の家から解放されたイスラエルではありましたが、彼らがしばしば
神様に向かってつぶやき、主の怒りを引き起こしたことをみなさんは、よくご存知です。
今日のこの箇所も、イスラエルの会衆が、モーセとアロンとにつぶやき、逆らったこと
によって、主の怒りを引き起こし、主は疫病によって、イスラエルの民を滅ぼそうとさ
れたのでした。この疫病によって死んだ者は一万四千七百人もあったと聖書は記してい
ます。しかし、たった一人の人、アロンが、モーセに聞き従い、薫香をたいて、民のた
めに罪のあがないをし、すでに死んだ者と、なお生きている者との間に立つと、疫病は
やんだというのです。主は今も、命がけで破れ口に立ち、主に叫び求めるならば、その
一人の人をとおして、大いなる救いのみ業を現すことができるお方なのです。
IT委員 椙森
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2005/11/30 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかい、
つぶやいて罪を犯しました。どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈っ
てください」。モーセは民のために祈った。そこで主はモーセに言われた、「火のへびを
造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るなら
ば生きるであろう」。モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置い
た。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。
(民数記21:7-9)
旧約聖書のすべての箇所に主イエス・キリストの型を見出そうとすると無理が生じま
す。しかし、民数記のこの出来事は、イエス様ご自身が引用して、イエス・キリストを
信じる(信仰をもって見上げる行為)信仰によって与えられる救いの型として説明され
たのです。イエス様は、このように語られました、「そして、ちょうどモーセが荒野で
へびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、
すべて永遠の命を得るためである(ヨハネ3:14-15)」と。そして、使徒パウロは、この
真理をさらにわかりやすく、このように説明してくれました、「キリストは、わたしたち
のためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖
書に、『木にかけられる者は、すべてのろわれる』と書いてある(ガラテヤ3:13)」と。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
ろばは主の使を見て、石がきにすり寄り、バラムの足を石がきに押しつけたので、
バラムは、また、ろばを打った。主の使はまた先に進んで、狭い所に立ちふさがっ
ていた。そこは右にも左にも、曲る道がなかったので、ろばは主の使を見てバラム
の下に伏した。そこでバラムは怒りを発し、つえでろばを打った。すると、主が、
ろばの口を開かれたので、ろばはバラムにむかって言った、「わたしがあなたに何を
したというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです」。
(民数記22:25-28)
民数記のこの箇所だけを読むとバラムがどのような動機でモアブの王チッポルの
子バラクのもとに行ったのか、理解に苦しむところです。事実、神様はバラムに対
して、「あなたは彼らと一緒に行ってはならない(民数記22:12)」と戒めておられた
のです。しかし、新約のペテロは、バラムのこの行為について、このように書き記し
ています、「彼らは正しい道からはずれて迷いに陥り、ベオルの子バラムの道に従った。
バラムは不義の実を愛し、そのために、自分のあやまちに対するとがめを受けた。もの
を言わないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の狂気じみたふるまいをはばん
だのである(Uペテロ2:15-16)」と。神様は、人々に警告を与えるために、異邦人や未
信者を用いることがあります。いや、ものを言わない動物さえも用いることができるお
方なのです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちた人であった。モーセが彼の上に手を置いたからで
ある。イスラエルの人々は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおりにおこなった。
イスラエルには、こののちモーセのような預言者は起らなかった。モーセは主が顔を合わ
せて知られた者であった。主はエジプトの地で彼をパロとそのすべての家来およびその全
地につかわして、もろもろのしるしと不思議を行わせられた。モーセはイスラエルのすべ
ての人の前で大いなる力をあらわし、大いなる恐るべき事をおこなった。
(申命記34:9-12)
神様は、モーセを用いて大いなる力をあらわし、大いなる恐るべき事をおこなわれまし
た。モーセは、決して完全な人間ではありませんでした。私たちと同じ不完全な人間でし
た。しかし、神様は、モーセを聖霊に満たして、用いて下さったのです。同じように、こ
の終わりの時には、神様は私たちにも、聖霊を注いで大いなるみ業をあらわそうとしてお
られるのです。「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れ
ない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためであ
る(Uコリント4:7 )」。
IT委員 椙森
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2005/12/3 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの
地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガ
リラヤに光栄を与えられる。暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に
住んでいた人々の上に光が照った。
(イザヤ9:1-2)
イザヤ書には、メシヤ預言が多く記されていますが、イザヤはイエス・キリストが生
まれる約700年前に活動した預言者と考えられています。「異邦人のガリラヤ」という
表現は、神様から遠く離れ、恵みからもれてしまった人々というニュアンスが含まれてい
ます。しかし、そのような「暗やみの中に歩んでいた民が大いなる光を見、暗黒の地に住
んでいた人々の上に光が照る」という預言をイザヤは、主からいただいたのです。そして、
イエス・キリストこそ、この「大いなる光」であり、「異邦人を照す啓示の光、み民イス
ラエルの栄光(ルカ2:32)」であり、また、「すべての人を照すまことの光」であるという
ことを、わたしたちはすべての人々に伝えたいのです。
IT委員 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉(旧約編)
しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、
イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは
昔から、いにしえの日からである。・・・
彼は主の力により、その神、主の名の威光により、立ってその群れを養い、彼らを
安らかにおらせる。今、彼は大いなる者となって、地の果にまで及ぶからである。
(ミカ5:2,4)
預言者ミカもイザヤと同じように、紀元前700年頃に活動した預言者です。彼は、
メシヤ、すなわち、キリストの生まれる場所について預言しました。それは、羊飼い
として生まれ育ち、その後、主に見出されて、油を注がれ、イスラエルの二代目の王
にまで引き上げられたダビデの出身地ベツレヘムでした。ヨセフもダビデの家系であ
り、またその血統ではありましたが、ヨセフもマリヤもそのころ、ガリラヤの町ナザ
レに住んでいました。そこで、神様は、「主の主、王の王」であるメシヤがベツレヘ
ムで生まれるという預言を成就させるために、全くの異邦人であったローマ皇帝アウ
グストに働きかけ、全世界の人口調査をせよとの勅令を出させ、ヨセフをすでに身重
になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためにベツレヘムへの長い旅
へと導かれたのでした。
IT委員 椙森
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今日の御言葉(旧約編)
ひとりの