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敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 それから彼らに対して言われた、「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して
聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしに
ついて書いてあることは、必ずことごとく成就する」そこでイエスは、聖書を悟らせるために
彼らの心を開いて言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に
死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、
エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなたがたは、
これらの事の証人である。見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。
だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい」。
(ルカ24:44-49)

イエス様が、「あなたがたは、これらの事の証人である。見よ、わたしの父が約束された
ものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとど
まっていなさい」と語られた時、「父が約束されたもの」とは、いったい何なのでしょうか。
それは、同じルカが記した使徒行伝を見ると、このように書かれています、「エルサレムから
離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは
水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるで
あろう」と。すなわち、聖霊のバプテスマこそ、父なる神様が私たちに約束されたものであり、
この聖霊のバプテスマを受ける時に、私たちは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの
全土、さらに地のはてまで、救い主イエス・キリストの証人となるのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/02  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 わたしたちがどういう教を主イエスによって与えたか、あなたがたはよく知っている。
神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み、各自、
気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲をほしいままに
せず、また、このようなことで兄弟を踏みつけたり、だましたりしてはならない。前にも
あなたがたにきびしく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて、報いを
なさるからである。神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清く
なるためである。こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、
聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。
(Tテサロニケ4:2-8)

「神のみこころは、あなたがたが清くなることである」、これはとても重みのある御言葉です。
私たちは、ことある毎に、「主の祈り」をささげますが、その中で、このように祈ります、
「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」と。そして、神様の私たち
一人一人に対する「みこころ」は、わたしたちが「清くなることである」というのです。
そして、私たち一人一人が「清くなること」を目標とする時に、聖霊さまは私たちに親しく
臨んで下さるのです。「心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう」。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/06  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、
『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。
また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように
隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。
イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、
「あなたは神の国から遠くない」。それから後は、イエスにあえて問う者はなかった。
(マルコ12:32-34)

 福音書には、イエス様がパリサイ人や律法学者を厳しく叱責している箇所が多く記され
ていますが、この律法学者に対しては、イエス様は、「彼が適切な答をしたのを見て、『あな
たは神の国から遠くない』と言われた」、とあります。この律法学者は、自分の立場を弁
護しようと思って、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」とイエス様に尋ねた
あの律法学者(ルカ10:25-29参照)とも違った心を持っていました。この律法学者は、
イエス様の回答に対して、「先生、仰せのとおりです」と応答し、「心をつくし、知恵を
つくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する」ということを
どのような「献げもの」にもまさって、はるかに大事なことであることを認めていたの
です。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/09  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
「婚宴に招かれたときには、上座につくな。あるいは、あなたよりも身分の高い人が招かれ
ているかも知れない。その場合、あなたとその人とを招いた者がきて、『このかたに座を譲
ってください』と言うであろう。そのとき、あなたは恥じ入って末座につくことになるであ
ろう。むしろ、招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい。そうすれば、招いてくれた
人がきて、『友よ、上座の方へお進みください』と言うであろう。そのとき、あなたは席を
共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。おおよそ、自分を高くする者
は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
(ルカ14:8-11)

 信仰生活が長く続くと、かえって、信仰が形式的なものになってしまう危険性をはらんで
います。上の譬え話も、何度も聞くうちに、わざとらしい謙遜、「慇懃無礼(いんぎんぶれい)
うわべはていねいなようで、実は尊大であること(広辞苑)」な態度になってしまうきらいが
あります。私たちは、常に、上の御言葉と、「人は外の顔かたちを見、主は心を見る」という
御言葉を心に留めながら、主に喜ばれるものとなるように、励んでいきたいものです。 
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/10  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその
召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互
に忍びあい、平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。
からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召さ
れたのと同様である。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、
すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。
(エペソ4:1-6)

 ここには、「一つ(一致)」という言葉が繰り返し(8回)出てきます。私たち一人一人に
神様から与えられた賜物、務め、また、働きは、異なっています。今、あなたの周りにいる
主にある兄弟姉妹のことを考えてみて下さい。一つになるためには、まず、違いを認め、違
いを受け入れることから、始まります。そして、その異なった一人一人が、一つとなるよう
に、主は私たちを召されたのだというのです。もう一度、繰り返します、「からだは一つ、
御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様で
ある。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべてのもの
を貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである」。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/11  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、
あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。互に忍びあい、もし
互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さっ
たのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。これらいっさいのもの
の上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。
(コロサイ3:12-14)

 最後の14節の御言葉の他の訳を紹介しておきたいと思います。
「そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。
(新改訳)」
「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
(新共同訳)」
 まさに、他の箇所でも、教えられているように、「愛は律法を完成するもの」なのです。
そして、これは、決してむずかしいことではないのです。なぜなら、12節にもあるように、
私たちは、そして、「あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから」
です。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/12 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 しかし、主の使がピリポにむかって言った、「立って南方に行き、エルサレムからガザへ
下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている)。そこで、彼は立って出かけた。
すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた
宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、その帰途についていたところで
あった。彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言った。
(使徒行伝8:26-29)

 主の御言葉とその導きに対して、従順であることがどれだけ大きな変化と祝福をもたら
すか、この箇所を読む度に考えさせられます。ピリポが、馬車に乗って、帰途についてい
たエチオピヤ人の宦官に、イザヤ書、しかも、53章を読んでいた彼に出くわすには、数秒
の誤差があっても不可能なことでした。しかし、ピリポが主の使の声と御霊に声に、時を
移さず、従ったことによって、この宦官であるエチオピヤ人が救いの恵みに与り、このこと
が後世、エチオピアの歴史に大きな影響を与えることになるのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/13  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 わたしがマケドニヤに向かって出発する際、頼んでおいたように、あなたはエペソに
とどまっていて、ある人々に、違った教を説くことをせず、作り話やはてしのない系図
などに気をとられることもないように、命じなさい。そのようなことは信仰による神の務
を果すものではなく、むしろ論議を引き起させるだけのものである。わたしのこの命令は、
清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている。
(Tテモテ1:3-5)

 私たちの周りには情報があふれています。聖書について、また、キリスト教について、
様々な書物やインターネットで調べようとするだけでも、際限がありません。確かにその
中には、私たちにとって、有益な情報もあるでしょう。しかし、とんでもない方向に私た
ちを導こうとする悪しき霊の働きもあることに注意する必要があります。私たちクリスチ
ャンは皆、「愛」を目標としています。しかし、使徒パウロは、ここでは、「清い心と正し
い良心と偽りのない信仰とから出てくる愛」という表現を使っているいることに注目した
いと思います。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/16 送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言して
その息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。
この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」
私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中にはいった。
そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。
非常に多くの集団であった
(エゼキエル37:9-10新改訳)

「枯れた骨は生き返ることができるのか」とエゼキエルに問いかけられた主は、「骨に
向かって預言しなさい」とも命じられました。そこで、彼が命じられたように、預言す
ると、声があり、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなったとあります。さらに、
彼が見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったのですが、息はそ
の中になかったのです。しかし、主なる神様はさらに、彼に向かって、「息に預言せよ。
人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹い
て来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ」と。彼が命じられた
とおりに預言すると、息が彼らの中にはいり、そして彼らは生き返り、自分の足で立ち
上がり、非常に多くの集団となったのです。主は今、日本のクリスチャンに、「息に向
かって預言しなさい、聖霊の息が、この日本に四方から吹いて来て、この国を生き返ら
せよ」と命じておられるのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/17  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 ヨシュアのもとに帰ってきて言った、「民をことごとく行かせるには及びません。ただ二、
三千人を上らせて、アイを撃たせなさい。彼らは少ないのですから、民をことごとくあそこ
へやってほねおりをさせるには及びません」。そこで民のうち、おおよそ三千人がそこに上っ
たが、ついにアイの人々の前から逃げ出した。アイの人々は彼らのうち、おおよそ三十六人を
殺し、更に彼らを門の前からシバリムまで追って、下り坂で彼らを殺したので、民の心は消え
て水のようになった。そのためヨシュアは衣服を裂き、イスラエルの長老たちと共に、主の箱
の前で、夕方まで地にひれ伏し、ちりをかぶった。
(ヨシュア7:3-6)

「失敗談から学ぶ勝利・成功の秘訣」とでも言うことができるでしょうか。勝つはずの戦いに
おいて、イスラエルが完全に敗北したという箇所です。その理由・原因は、イスラエルが罪を
犯し、主が彼らに命じておいた契約を破ったからです。すなわち、彼らは奉納物を取り、盗み、
かつ偽って、それを自分の所有物のうちに入れたのでした。そこで、主なる神様が彼らに命じ
られたことはこうでした、「イスラエルよ、あなたがたのうちに、滅ぼされるべきものがある。
その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから除き去るまでは、敵に当ることはできない
であろう」。私たちが私たちの敵であるサタンに勝利するための秘訣が、ここにあります。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/18  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように
神に直接教えられており、また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、
それを実行しているのだから。しかし、兄弟たちよ。あなたがたに勧める。ますます、
そうしてほしい。
(Tテサロニケ4:9-10)

 ある方は、「私は、神様の声なんて聞いたことがない」と言います。しかし、使徒パウロは
ここで、「あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており」と、言っています。
そうです、みなさんは、ことある毎に、「わたしのいましめは、これである。わたしがあなた
がたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」と聞いています。そして、その
いましめを与えて下さったイエス様は、このようにも語っておられるのです、「わたしがあな
たがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、
みわざをなさっているのである。・・・あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉では
なく、わたしをつかわされた父の言葉である」と。そうです、みなさんは、「互に愛し合う
ように神に直接教えられている」のです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/19   送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 その時主の霊が会衆の中でアサフの子孫であるレビびとヤハジエルに臨んだ。・・
ヤハジエルは言った、「ユダの人々、エルサレムの住民、およびヨシャパテ王よ、聞きなさい。
主はあなたがたにこう仰せられる、『この大軍のために恐れてはならない。おののいてはならない。
これはあなたがたの戦いではなく、主の戦いだからである。あす、彼らの所へ攻め下りなさい。
見よ、彼らはヂヅの坂から上って来る。あなたがたはエルエルの野の東、
谷の端でこれに会うであろう。この戦いには、あなたがたは戦うに及ばない。
ユダおよびエルサレムよ、あなたがたは進み出て立ち、
あなたがたと共におられる主の勝利を見なさい。恐れてはならない。おののいてはならない。
あす、彼らの所に攻めて行きなさい。主はあなたがたと共におられるからである』」。
(歴代志下20:14-17)

 イスラエルは、様々な戦いを経験しましたが、このアンモン、モアブ、およびセイル山の
人々との戦いにおいては、主ははっきりと「これはあなたがたの戦いではなく、主の戦いで
ある」と宣言されました。ユダの人々のなすべきことは、ただ、「あなたがたは進み出て立ち、
あなたがたと共におられる主の勝利を見なさい」ということであったのです。そして、
ヨシャパテ王は、人々を任命し、聖なる飾りを着けて軍勢の前に進ませ、主に向かって
歌をうたい、かつさんびさせ、「主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」
と言わせたのでした。そして彼らが歌をうたい、さんびし始めた時、主は伏兵を設け、
かのユダに攻めてきたアンモン、モアブ、セイル山の人々に向かわせられたので、彼らは
完全に打ち敗られたのでした。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/20  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム

今日の御言葉
 また主はこの山で、すべての民のかぶっている顔おおいと、
すべての国のおおっているおおい物とを破られる。
主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、
その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである。
その日、人は言う、「見よ、これはわれわれの神である。わたしたちは彼を待ち望んだ。
彼はわたしたちを救われる。これは主である。わたしたちは彼を待ち望んだ。
わたしたちはその救を喜び楽しもう」と。
(イザヤ25:7-9)

 ここで語られている「すべての民のかぶっている顔おおい」、また、
「すべての国のおおっているおおい物」とは、いったいなんのことでしょうか。
第二コリント4:3-4を見ると、このような御言葉があります、「それでもなお私たちの福音に
おおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているの
です。そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの
栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです(新改訳)」と。そして、今も、
その「おおい」が人々から完全には、取り除かれていないという現実を私たちは見ます。
では、私たちのなすべきことは、いったいなんでしょうか。使徒パウロは、続けて言います、
「しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを
宣べ伝える。・・・『やみの中から光が照りいでよ』と仰せになった神は、キリストの顔に
輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである」と。
そうです、信仰をもって、そして、失望せずに、キリストを宣べ伝え続けることなのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/23   送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。
それによって、彼は義と認められた」とある。(ローマ4:3)

 しかし、聖書はなんと言っているか。「女奴隷とその子とを追い出せ。
女奴隷の子は、自由の女の子と共に相続をしてはならない」とある。(ガラテヤ4:30)

 この二つの短い文は、どちらも聖霊に満たされ、主の栄光のために、豊かに用いられた
使徒パウロが記した御言葉です。この二つの御言葉をとおして、彼の揺るがない信仰の
土台が何であるかを知ることができます。すなわち、「人が何と言おうと、『聖書はなんと
言っているか』」、これが、使徒パウロの信仰告白であり、信仰の土台であったのです。
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた、誤りなき神の言葉」、これが主に喜ばれる、
キリスト者の信仰なのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/24  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
(創世記1:1-3)

「はじめに神は天と地とを創造された」、この御言葉を科学的に証明することはできません
し、その必要もありません。私たちはただ、信仰によって、この世界が神の言葉で造られた
のであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るの
です。主なる神様、そして、イエス様が私たちに求めておられることは、聖書に書かれてい
る事柄についてはすべて、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」ということ
だけなのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/25  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、肉体をきよめ
聖別するとすれば、永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリス
トの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕え
る者としないであろうか。それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、
彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約
束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。
(ヘブル9:13-15)

 ここに記された「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリス
トの血」、この神聖を汚すもの、言い換えれば、「きずも、しみもない小羊のようなキリスト
の尊い血」の神聖を汚す者があるならば、その人はのろわれるべきです。たとえ、私たちで
あろうと、天からの御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなた
がたに宣べ伝えるなら、その人はのろわれるべきです。使徒パウロが教えたように、私たち
も、今もう一度言います。もしだれかが、あなたがたの受けいれた福音に反することを、あ
なたがたに宣べ伝えているなら、その人はのろわれるべきです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/26  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの
力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって立てられた
あらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、そして、
あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。
(Uコリント10:4-6)

 この箇所は、使徒パウロが語った言葉の中でも、非常に厳しい、また、激しい御言葉の
一つです。使徒パウロは、主イエス・キリストをあまりにも(気が狂ったように)愛するが
ゆえに、「福音の真理」に対抗する議論や、「神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物」
に対しては、見て見ぬ振りをするわけにはいかなかったのです。しかし、これは決して、使
徒パウロに限ったことでは、ありません。「神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしま
うため(Tヨハネ3:8)」なのですから。私たちもまた、同じように心の武装をし、悪魔のわざ
を滅ぼすための同労者として、共に主に仕えていきたいものです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/27  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたの
からだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがた
のなすべき霊的な礼拝である。あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を
新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜
ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
(ローマ12:1-2)

 旧約時代、イスラエルの人々は、「あなたのうちの男子は皆あなたの神、主が選ばれる場所
で、年に三度、すなわち種入れぬパンの祭(過越の祭)と、七週の祭(ペンテコステの祭)と、
仮庵の祭に、主の前に出なければならない。ただし、から手で主の前に出てはならない(申命
記16:16)」と命じられていました。「から手で主の前に出てはならない」ということは、必ず、
「供え物をもって主の前に出て、その供え物を主にささげなさい」ということです。しかし、
新約時代の私たちに対しては、主は、使徒パウロをとおして、「あなたがたのからだを、神に
喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい」と教えているのです。そして、それこ
そが、「あなたがたのなすべき霊的な礼拝である」と、聖書は教えているのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/05/30  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、
あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。
その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をする
であろう。また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と
立ちこめる煙とを、見せるであろう。主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに
月は血に変るであろう。そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。
(使徒行伝2:17-21)

 ある神学者は、ヨエル書のこの御言葉は、紀元前9世紀頃(様々な説があります)書か
れたものとしています。しかし、イエス様があの十字架上において、全人類の罪とために、
あがないの業を成し遂げ、40日後に天に帰られ、そして、五旬節、すなわち、「ペンテコ
ステ=50日目の祭日・七週の祭り・刈り入れの祭り(出23:16)・初穂の日(民28:26)」
とも呼ばれている、その日に、聖霊が突如として、祈りをしていた120人ほどの弟子たち
の上に激しく降り、「このヨエルの預言が成就した」と使徒ペテロは、弁明したのでした。
しかし、この「終わりの時」は今も続き、特に今から約100年ほど前に、アメリカを含め、
世界の各地において、この「聖霊の傾注」が起こり、爆発的な勢いで全世界に拡がっている
のです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
※ 水曜日の聖書研究・祈祷会にも是非、御参加下さい。
2006/05/31  送信済み












敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ日が
来る。・・・わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、
と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。
こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。彼らは、それぞれ、
その同胞に、また、それぞれ、その兄弟に、主を知れ、と言って教えることはなくなる。なぜ
なら、大なる者から小なる者に至るまで、彼らはことごとく、わたしを知るようになるからで
ある。わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。
(ヘブル8:8b-12)

「ペンテコステの祭」を後に、ユダヤ人達はまた、神様がシナイ山においてモーセに律法を
授けたことを記念する日として祝うようになりました。しかし、主イエス・キリストが過越
の小羊としてささげられた50日後のペンテコステの日に、聖霊が降り、今まで理解できな
かった「聖書の真理」に、人々の目が開かれ、また、ペテロのメッセージを聞いて、強く心
を刺され、心から罪を悔い改め、彼の勧めの言葉を受けいれた三千人ほどの人々が、主イエ
ス・キリストの御名によって、バプテスマを受けたのでした。それはまさに、墨によらず生
ける神様の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に神様のいましめ(律法)が書
き記された経験と言ってよいのではないでしょうか。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/01  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたよう
な音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のような
ものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満た
され、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
(使徒行伝2:1-4)

 救い主イエス・キリストが出エジプト以来、ユダヤ人達が大切に守ってきた「過越の祭」に、
ほふられる小羊として十字架上で血を流されたことに深い意味があったように、「五旬節の日
(ペンテコステ)」に聖霊が降ったことも決して偶然ではなく、深い意味がありました。勿論、
そのことを予測することができた人は、一人もいませんでした。「ただ、神のみぞ知る」であ
ります。弟子たちがなすべきこと、そして、私たちがなすべきことは、時期や場合を詮索(せ
んさく)することではなく、「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、
・・さらに地のはてまで、わたし(イエス様)の証人となる」と言われた主の約束を信じて、
聖霊さまを待ち望み、聖霊さまを認め、歓迎し、聖霊さまにより頼み、聖霊さまにすべてを明
け渡してゆくことなのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/02  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを
深くあわれまれた。そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、
収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。
(マタイ9:36-38)

「ペンテコステの日に、三千人ほどがバプテスマを受け、弟子に加えられた」という聖書の
記事を始めて読んだとき、気が遠くなるような驚きを覚えたの記憶しています。しかし、今、
世界では、初代教会時代にもまさって、大きな収穫の時が来ていることをみなさんは、ご存
知でしょうか。お隣の韓国では、一度に百万人を越えるキリストの御名による集まりがすで
に何度も開催されています。また、アフリカのナイジェリアでもラインハルト・ボンケ師を
講師にして、一度に数百万人が集うクルセードが何回か、持たれています。そして、昨年1月、
インドのバンガロール市において飛行場を会場にして3日間で700万人を超える会衆が集
い、キリスト教史上最大の集会となりました(講師はベニー・ヒン師)。トランスフォーメ
イションが起っているフィジーは、人口80万人という小さな国ですが、今年3日間で、37
万人が集いました。また、イスラム勢力の最も強い国とされるインドネシアで、なんと150
万人(3日間)の人々が主イエス・キリストの救いといやしの福音を聞くために、集まったの
でした。そして、今、この日本にもその魂の大収穫の季節が来ようとしているのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/03  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に
満ちているのを見た。その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つを
もって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、互に呼びかわして言った。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。その呼ばわって
いる者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。その時わたしは言った、
「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れた
くちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。
この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、
わたしのところに飛んできて、わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに
触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。わたしはまた主の言われる声を
聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時
わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。
(イザヤ6:1-8)

 私たちの内、だれ一人、自分の力で、神様の前に、清いものとして立つことのできる人は
いません。しかし、主イエス・キリストの十字架の血潮は、私たちをすべての罪から清める
力があります。そして、主は、すべて信じる者に、救を得させる神の力である福音を、すべ
ての人に伝えたいと願っておられるのです。そして、主は今も、主イエス・キリストの十字
架の血潮によって、その罪がゆるされたものに対して、このように語っておられるのです、
「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」と。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたの
みこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。あなたがたは、刈入れ時が来る
までには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに
言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。刈る者は報酬を受
けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。
(ヨハネ4:34-36)

 私たち人間は、神様によって、神様にかたどって造られたものです。ですから、その
神様からの使命をいただいたならば、それに従わないと、欲求不満になります。しかし、
そのみこころを行い、そのみわざをなし遂げる時には、この上ない喜び、満足感を味わ
うことができるのです。イエス様は、この時、一匹の迷える小羊、すなわち、一人のサ
マリヤの女に、「神様の賜物のこと、救いについて、また、礼拝についての真理」を伝
えることができたという喜びがありました。さらに、この一人のサマリヤの女の救いが、
サマリヤの町全体の大きなリバイバル、魂の収穫につながることを知り、喜びにあふれ
ていたのです。御霊によって、主のみ思いを与えられた私たちも、その魂の収穫のため
に、主と共に奉仕する時に、最も大きな喜びと満足感、そして、生き甲斐を感じること
ができるのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/07  送信済み




敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、
罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、
キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、
彼が報いを望み見ていたからである。信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、
エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。
信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い
血を塗った。信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、
同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。
(ヘブル11:24-29)

 みなさんの中に、人生の分かれ道に立ち、大きな決断を迫られている人がいること
を主が示して下さいました。(それがだれのことであるか、私にも分かりません。)
繁栄を極めていたエジプトの王パロの娘の子として、養い育てられたモーセにとって、
そこにとどまっていたならば、何不自由のない生活が約束されていました。しかし、
モーセは、「罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを
選び、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた」のです。
この御言葉が、みなさんの歩むべき道を決定し、判断する基準となりますように、心
から、お祈りいたします。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/08  送信済み



敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山
でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは自分の知らない
ものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来る
からである。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が
来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。
神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。
(ヨハネ4:21-24)

 まず、24節の他の訳を紹介させていただきます。
「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。
父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。(新改訳)」

「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今が
その時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。(新共同訳)」

「なんだ、大して変わらないじゃないか」と多くの方々は、思われたことでしょう。そうです。
御言葉によって全宇宙を創造された全知全能の神様にとって、不足しているものなど、何も
ありません。しかし、その十全なる父なる神様が切に「求めておられるもの」があるという
ことを知って欲しいのです。それは、「霊とまこととをもって父を礼拝する礼拝者」です。
言い換えれば、父なる神様は、あなたのどのような奉仕よりも、父なる神様に心からの礼拝を
ささげることを待っておられ、それをお喜びになり、それを父なる神様は切に願っておられる
のです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/09  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。
枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、
あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。わたしはぶどう
の木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがそ
の人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、
あなたがたは何一つできないからである。
(ヨハネ15:4-5)

 私たちが神様から豊かな祝福と恵みをいただくためにはまず、「わたし(キリスト)
から離れては、あなたがた(私たち)は何一つできないからである」という真理を認め、
告白することから始まります。しかし、時として、クリスチャンも、試練を経験し、問
題に直面することがあります。でも、ノンクリスチャンとクリスチャンの大きな違いは、
「全ての問題の答え、解決がどこにあるか」をクリスチャンは知っているということで
す。そうです、「イエス様こそ、全ての問題の答えであり、解決」です。
"Jesus is the Answer"、 問題に直面した時にこそ、キリストに信頼し、信仰をもって、
祈りつづけることです。  
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/10  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまって
おるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。
そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。そこで、彼らはイエスに言った、
「わたしたちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない。
どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか」。イエスは彼らに答え
られた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。そして、
奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。だから、もし子が
あなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。
(ヨハネ8:31-36)

 私たちが「真理」を知るためには、どうすれば良いのか、その答えがここに記されていま
す。すなわち、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、・・・また
真理を知る」。多くの人々は、「多くのことを学べば、いつか真理を知ることができるのでは
ないか」と考えます。しかし、イエス様の教えは、「もしわたしの言葉のうちにとどまって
おるなら」です。なぜなら、イエス・キリストこそ、「道であり、真理であり、命」だから
です。そうです、「真理」であるイエス・キリストは自由を得させるために、わたしたちを
解放して下さったのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/13  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく
教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話
をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理から
は耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。しかし、あなたは、何事にも
慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。
(Uテモテ4:2-5)

 使徒パウロは、終りの時を「苦難の時代(Uテモテ3:1)」と呼び、また、「真理からは耳を
そむけて、作り話の方にそれていく時」とも表現しました。神様によって霊感されて書かれた
「聖書の言葉・神様の言葉」よりも、「作り話・空想話」の方を好む時代です。そのような時
代の中にあって、「御言を宣べ伝える」ということは、それ自体、忍耐のいることです。しかし、
パウロは、「それを励むように」と愛弟子のテモテに書き送ったのです。なぜなら、「御言には、
あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある(使徒20:32)」
ということを彼自身、よく知っていたからです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/14  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ
伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。
わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたが
たの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである。
今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。
あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとして
いるとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。
(ガラテヤ1:8-10)

 クリスチャンの方々に、お願い致します。
どうか、人々の御機嫌伺いばかりをしているような偽善者には、決して、決して、ならない
で下さい。「邪悪で罪深いこの時代にあって、わたし(キリスト)とわたしの言葉とを恥じる
者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を
恥じるであろう(マルコ8:38)」。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/15  送信済み




敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基
いて彼らと論じ、キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、
また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、
説明もし論証もした。
(使徒行伝17:2-3)

 人々が正しい信仰を持つためには、正しい福音の理解が不可欠です。しかし、「聞いた
ことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして
聞くことがあろうか」とあるように、人々が正しい福音理解を持つためには、どうしても、
だれかが、「聖書に基いて」、真理の言葉を正しく教えて上げる必要があるのです。そして、
主は、すべてのキリスト者が弟子となり、整えられて、福音の役者(えきしゃ)として、
用いられることを願っておられるのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/16  送信済み





敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
どうかあなたがたの父祖の神、主が、あなたがたを今の千倍にふやしてくださるように。
そしてあなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように。
(申命記1:11新改訳)

 神様は、1998年9月16日に上の御言葉を土台にして、私たちの「御影神愛キリ
スト教会を今の千倍にふやし、祝福します」という預言の言葉を与えて下さいました。
聖書は、神様の口から出た約束の言葉について、このように記しています、「神は人のよ
うに偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。言ったことで、行わないこ
とがあろうか、語ったことで、しとげないことがあろうか(民数記23:19)」と。また、こ
のようにも記しています、「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、
わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送っ
た事を成功させる(イザヤ55:11新改訳)」。そして、みなさんも、アブラハムと同じよう
に、「彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強
められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また成就することができると確信
した(ローマ4:20-21)」とあるように、神様の約束の言葉に対して揺るがない信仰を持って
おられると確信しています。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
「願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、あなたを恵まれるように。
願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように」』。
こうして彼らがイスラエルの人々のために、わたしの名を唱えるならば、
わたしは彼らを祝福するであろう」。
(民数記6:24-27)

 主イエス・キリストを信じる信仰によって、アブラハムの子孫と変えられ、
アブラハムの祝福を受け継ぐ者と変えられた皆さんの上に、主の豊かな祝福、
主の御守り、主の恵み、主の平安が豊かに与えられますように、お祈り致します。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/20   送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの
必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。
わたしたちの父なる神に、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。
(ピリピ4:19-20)

 私たちの信じる神様にとって、「ご自身の栄光の富」とはどのようなものか、少しだけ、
思いを馳せてみましょう。「万国民の財宝は、はいって来て、わたしは栄光をこの家に
満たすと、万軍の主は言われる。銀はわたしのもの、金もわたしのものであると、万軍
の主は言われる(ハガイ2:7-8)」。「地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む
者とは主のものである(詩篇24:1)」。「あなたに、暗い所にある財宝と、ひそかな所に隠
した宝物とを与えて、わたしは主、あなたの名を呼んだイスラエルの神であることをあな
たに知らせよう(イザヤ45:3)」。「万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるもの
も見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。
これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである(コロサ
イ1:16)」。これらの御言葉は、私たちが「ご自身の栄光の富」を理解するための極一部に
過ぎないのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/21  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 ウジヤは王となった時十六歳で、エルサレムで五十二年の間世を治めた。その母はエルサ
レムの者で名をエコリヤといった。ウジヤは父アマジヤがしたように、すべて主の良しと見
られることを行った。彼は神を恐れることを自分に教えたゼカリヤの世にある日の間、神を
求めることに努めた。彼が主を求めた間、神は彼を栄えさせられた。・・・
 彼はまたエルサレムで技術者の考案した機械を造って、これをやぐらおよび城壁のすみず
みにすえ、これをもって矢および大石を射出した。こうして彼の名声は遠くまで広まった。
彼が驚くほど神の助けを得て強くなったからである。ところが彼は強くなるに及んで、その
心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った。
(歴代志下26:3-5,15-16)

 ウジヤ王の生涯は、私たちクリスチャンに大きな教訓を与えてくれます。良い面と悪い面
を彼の生涯から学ぶことができるのです。すなわち、「彼が主を求めた間、神は彼を栄えさ
せられた」という事実、そして、もう一つの悲しい出来事は、「ところが彼は強くなるに及ん
で、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った」という事実です。私たちは、神様によ
って「用いられる」ということは、とても大きな危険をはらんでいるということをここから
学びたいのです。すなわち、「高慢・高ぶり」という危険です。私たちは、「主の主、王の王」
であるイエス様が、あの最後の晩餐の席において、弟子たちの足を洗い、その時に語られた
御言葉をいつも、心に留めておきたいのです。「よくよくあなたがたに言っておく。僕はその
主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。もしこれ
らのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである(ヨハネ13:16-17)」。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/22   送信済み  


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 そこで、ステパノが言った、「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブ
ラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて仰せになっ
た、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。そこで、アブラハ
ムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこか
ら、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、そこでは、遺産となるものは何一つ、
一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。ただ、その地を所領として授けようとの約束を、
彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。神はこう仰せ
になった、『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。そして、そこで四百年のあいだ、奴隷に
されて虐待を受けるであろう』。それから、さらに仰せになった、『彼らを奴隷にする国民を、
わたしはさばくであろう。その後、彼らはそこからのがれ出て、この場所でわたしを礼拝する
であろう』。
(使徒行伝7:2-7)

 神様がアブラハムを選ばれた時、実に壮大な計画を立てておられました。それは、彼の後の
子孫、イスラエルを、「大いなる国民とし、祭司の国民とし、また、聖なる国民として、主に仕
えさせ、主を礼拝する民としよう」という計画であったのです。しかし、神様の御計画は、それ
だけではありませんでした。アブラハムの子孫であり、神のひとり子であるイエス・キリストに
よって、人々を罪の奴隷から解放し、霊とまこととをもって、父なる神様を礼拝する主の民を全
世界から召し集めるという御計画をも、もくろんでおられたのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/23  送信済み









敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 そして、神はアブラハムに、割礼の契約をお与えになった。こうして、彼はイサクの父となり、
これに八日目に割礼を施し、それから、イサクはヤコブの父となり、ヤコブは十二人の族長たち
の父となった。族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。しかし、神は彼と共
にいまして、あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、知恵をあらわ
させた。そこで、パロは彼を宰相の任につかせ、エジプトならびに王家全体の支配に当らせた。
時に、エジプトとカナンとの全土にわたって、ききんが起り、大きな苦難が襲ってきて、わたし
たちの先祖たちは、食物が得られなくなった。ヤコブは、エジプトには食糧があると聞いて、初
めに先祖たちをつかわしたが、二回目の時に、ヨセフが兄弟たちに、自分の身の上を打ち明けた
ので、彼の親族関係がパロに知れてきた。ヨセフは使をやって、父ヤコブと七十五人にのぼる親
族一同とを招いた。
(使徒行伝7:8-14)

ヤコブ、すなわち、イスラエルは、雄やぎの血のついた長そでの着物を見た時、最愛の子ヨセ
フはかみ裂かれて死んだものと思い込みました。しかし、現実には、ヨセフは生きていて、エジ
プトならびに王家全体を支配する宰相の任についていたのです。それは、神様がイスラエルの子
孫を地に残すためであり、また、大いなる救をもってイスラエル人の命を助けるためであったの
です。二千年前、ユダヤ人たちは、イエス・キリストを十字架につけ、血を流し、多くの人々は、
キリストは死んだものだと思っていました。事実、キリストは死んで、墓に葬られたのです。し
かし、主イエス・キリストは、三日目によみがえり、今や、世界の多くの人々が、イエス・キリ
ストを救い主、また、「主の主、王の王」として礼拝をしているのです。そして、やがて、彼を
刺しとおしたユダヤ人たちも、彼(キリスト)を仰ぎ見る時が来るのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/24   送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 神がアブラハムに対して立てられた約束の時期が近づくにつれ、民はふえてエジプト全土に
ひろがった。やがて、ヨセフのことを知らない別な王が、エジプトに起った。この王は、わた
したちの同族に対し策略をめぐらして、先祖たちを虐待し、その幼な子らを生かしておかない
ように捨てさせた。モーセが生れたのは、ちょうどこのころのことである。彼はまれに見る美
しい子であった。三か月の間は、父の家で育てられたが、そののち捨てられたのを、パロの娘
が拾いあげて、自分の子として育てた。
(使徒行伝7:17-21)

 人間が同じ人間を虐待する、また、生まれたばかりの純真無垢な幼な子を生ゴミのように捨
てさせる、罪深い人間の姿がここに記されています。エジプトの王パロは、助産婦に生まれた
ばかりの男の子を殺すように命じ、また、そのすべての民に、「ヘブルびとに男の子が生れた
ならば、みなナイル川に投げこめ」と命じたのです。二千年前、イエス様が、ユダヤ人の王と
してお生れになった時にも、ヘロデ王は、「ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の
男の子を、ことごとく殺した」という記事が新約聖書に出てきます。いったいどうして、神様
はこのような出来事をお許しになるのか、と思える邪悪で罪深い時代。しかし、そのような暗
黒の時代に、神様は、モーセをとおして、また、神のひとり子イエス・キリストをとおして、
大いなるしるしと不思議をもって、御自身の栄光を現されたのです。
 ミッション・オリーブ 椙森  
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2006/06/27   送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 四十年たった時、シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。
彼はこの光景を見て不思議に思い、それを見きわめるために近寄ったところ、主の声が聞え
てきた、『わたしは、あなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』。
モーセは恐れおののいて、もうそれを見る勇気もなくなった。すると、主が彼に言われた、
『あなたの足から、くつを脱ぎなさい。あなたの立っているこの場所は、聖なる地である。
わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩の
うめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである。さあ、今あなたをエジ
プトにつかわそう』。こうして、『だれが、君を支配者や裁判人にしたのか』と言って排斥
されたこのモーセを、神は、柴の中で彼に現れた御使の手によって、支配者、解放者として、
おつかわしになったのである。この人が、人々を導き出して、エジプトの地においても、
紅海においても、また四十年のあいだ荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。
(使徒行伝7:30-36)

 聖書は他の箇所で、「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがた
の道とは異なっている」と教えていますが、神様の選びは、私たち人間の発想とは、まった
く異なったものであることを覚えます。四十年前、イスラエル人の解放を試みたのですが、
失敗に終わり、「だれが、君を支配者や裁判人にしたのか」と言って排斥されたモーセ、すで
に八十才の老齢になっていたモーセを、神様は、柴の中で彼に現れた御使の手によって、支
配者、解放者として、おつかわしになったのです。ナザレのイエス様もまた、「この人は大工
の子ではないか」と言って、多くの人々から排斥されたのです。しかし、人々が十字架につけ
たこのイエス様を、神様は、主またキリスト(メシヤ・救い主)としてお立てになったのです。
まさに、「家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたし
たちの目には不思議に見える」と書いてあるとおりです。
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2006/06/28   送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 この人が、イスラエル人たちに、『神はわたしをお立てになったように、あなたがた
の兄弟たちの中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう』と言ったモーセである。
この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にい
て、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。
(使徒行伝7:37-38)

 モーセは言いました、「主なる神は、わたしをお立てになったように、あなたがたの
兄弟の中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう」と。サムエルをはじめ、その
後つづいて語ったほどの預言者はみな、この時のことを予告したのです。このイエス・
キリストは、神様が聖なる預言者たちの口をとおして、昔から預言しておられた万物更新
の時まで、天にとどめておかれねばならなかったのです。そして、この救い主イエス様が
来られた時、イエス様は、聖書について、また、モーセについて、このように語られまし
た、「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わた
しについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもと
にこようともしない。・・・・もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じ
たであろう。モーセは、わたしについて書いたのである。しかし、モーセの書いたものを
信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか(ヨハネ5:39-40,46-47)」と。
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2006/06/29  送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 わたしたちの先祖には、荒野にあかしの幕屋があった。それは、見たままの型にしたがって
造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。この幕屋は、わたし
たちの先祖が、ヨシュアに率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領を
のり取ったときに、そこに持ち込まれ、次々に受け継がれて、ダビデの時代に及んだものであ
る。ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。
けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。
(使徒行伝7:44-47)

 ここには、「あかしの幕屋(別名:モーセの幕屋・会見の幕屋・天幕・聖所等)」についての
言及がなされています。この幕屋について、ヘブル書(9:2-5)では、「前の場所には燭台と机
と供えのパンとが置かれていた。これが、聖所と呼ばれた。また第二の幕の後に、別の場所があ
り、それは至聖所と呼ばれた。そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、
その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れて
あり、箱の上には栄光に輝くケルビムがあって、贖罪所をおおっていた」という説明があります。
これに対して、「ダビデの幕屋」について、歴代志上(16:4-6)には、「ダビデはまたレビびと
のうちから主の箱の前に仕える者を立てて、イスラエルの神、主をあがめ、感謝し、ほめたた
えさせた。楽長はアサフ、・・・彼らは立琴と琴を弾じ、アサフはシンバルを打ち鳴らし、祭
司ベナヤとヤハジエルは神の契約の箱の前でつねにラッパを吹いた」とあるように、かなり
賑やかな賛美中心の礼拝の場所であったことを知ることができます。
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2006/06/30    送信済み


敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
 しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおり
である、『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、
どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。これは皆わたしの手が造ったものでは
ないか』。ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆ら
っている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。いったい、あなたがたの先祖が迫害し
なかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、
今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。あなたがたは、御使たち
によって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。
(使徒行伝7:48-53)

 ステパノは、その弁明の終盤にダビデ王が、神様の恵みによって、ヤコブの神のために宮、
すなわち、神殿を造営したいと願ったことを述べています。しかし、彼はさらに、イザヤ書
(66:1-2)をも引用し、神様は人間が造った家の内にはお住みにならないと述べています。そ
のイザヤを開くとこのように記されています、「わが手はすべてこれらの物を造った。これら
の物はことごとくわたしのものである。しかし、わたしが顧みる人はこれである。すなわち、
へりくだって心悔い、わが言葉に恐れおののく者である」と。そして、新約聖書では、使徒
パウロをとおして、このように教えています、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が
自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその
人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮
なのだからである(Tコリント3:16-17)」と。
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2006/07/01  送信済み