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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおり
である、『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、
どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。これは皆わたしの手が造ったものでは
ないか』。ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆ら
っている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。いったい、あなたがたの先祖が迫害し
なかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、
今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。あなたがたは、御使たち
によって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。
(使徒行伝7:48-53)
ステパノは、その弁明の終盤にダビデ王が、神様の恵みによって、ヤコブの神のために宮、
すなわち、神殿を造営したいと願ったことを述べています。しかし、彼はさらに、イザヤ書
(66:1-2)をも引用し、神様は人間が造った家の内にはお住みにならないと述べています。そ
のイザヤを開くとこのように記されています、「わが手はすべてこれらの物を造った。これら
の物はことごとくわたしのものである。しかし、わたしが顧みる人はこれである。すなわち、
へりくだって心悔い、わが言葉に恐れおののく者である」と。そして、新約聖書では、使徒
パウロをとおして、このように教えています、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が
自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその
人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮
なのだからである(Tコリント3:16-17)」と。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/01 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。
しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に
立っておられるのが見えた。そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立ってお
いでになるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目が
けて、いっせいに殺到し、彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、
自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。こうして、彼らがステパノに石
を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下
さい」。そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせない
で下さい」。こう言って、彼は眠りについた。
(使徒行伝7:54-60)
初代教会最初の殉教者・ステパノの最後です。ステパノは、死を覚悟で、聖書(旧約聖書)
が預言していたメシヤは、ナザレのイエスであることを証ししたのです。ステパノがまもなく、
石で打ち殺されようとする、その時、他の箇所では、「神の右に座したもう」と表現をされて
いるイエス様が、その座を立ち上がり、ステパノの最後を見届けておられる様子がここに記さ
れています。そして、彼が最後に祈った、その祈りは、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます
(ルカ23:46)」、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいる
のです(ルカ23:34)」と、イエス様ご自身があの十字架の上で祈られた、その祈りと重なって
見えてくるのは、私だけではないでしょう。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/04 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、
あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、
その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
(詩篇1:1-3)
「実を結ぶ人生、その葉もしぼむことがなく、そのなすところは皆栄える」、
これは、神様の祝福以外の何ものでもありません。しかし、聖書は、このような
人生が可能であり、私たち一人一人がそのような祝福に満ちた人生を送ることを
神様が願っておられるのだと教えているのです。そして、その秘訣が前半のみ言
葉であり、「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の
座にすわらないこと、また、主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う」
ことであると聖書は、教えているのです。
ミッション・オリーブ 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
サムエルは言った、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を
喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。
あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。
(Tサムエル15:22-23)
主はサウルに油を注いでイスラエル初代の王とされました。そして主はサウルに使命を授け、
つかわして言われました、「行って、罪びとなるアマレクびとを滅ぼし尽せ。彼らを皆殺しに
するまで戦え」と。ところが、サウルは主の声に聞き従わないで、ぶんどり物にとびかかり、
主の目の前に悪をおこなったのでした。サウルはサムエルに、このように弁解しています、
「わたしは主の声に聞き従い、主がつかわされた使命を帯びて行き、アマレクの王アガグを連
れてきて、アマレクびとを滅ぼし尽しました。しかし民は滅ぼし尽すべきもののうち最も良い
ものを、ギルガルで、あなたの神、主にささげるため、ぶんどり物のうちから羊と牛を取りま
した」と。これらのことに対するサムエルの回答が上記のみ言葉であったのです。さて、あなた
は、この御言葉を、新約的にどのように適用しますか。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/06 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められる
ことは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むこと
ではないか。主の声が町にむかって呼ばわる――全き知恵はあなたの名を恐れることである
――「部族および町の会衆よ、聞け。
(ミカ6:8-9)
ミカ書と言えば、ご存知のように、ユダヤ人の王であり、救い主であるイエス・キリスト
は、ユダヤのベツレヘムで生まれる(5:2)ということを預言した書物です。この短い小預言
書をとおしても、私たちは、キリスト像を見いだすことができます。そして、それはまた、
私たちキリスト者の生き方、生き様を教える示唆に富んだ書物でもあります。そのミカ書が
教えます、「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へり
くだってあなたの神と共に歩むことではないか」と。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/07 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者が
こう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と
共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす。わたしはかぎり
なく争わない、また絶えず怒らない。霊はわたしから出、いのちの息はわたしが
つくったからだ。
(イザヤ57:15-16)
神様は、いと高く、いと上なる所にとこしえに住むお方です。しかも、聖なる
お方です。しかし、その神様はまた、人々の間にも住まわれる神様です。そして、
神様が、好んで共に住むことを願う人々がいると、ここで教えています。それは、
「心砕けて、へりくだる者」であるというのです。そして、神様はその「心砕けて、
へりくだる者」と共に住み、「へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす」
と語っていて下さるのです。なんと、慰めに満ちた祝福の言葉でしょう。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/08 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、
兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。
熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、
望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。
貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。
あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。
喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
(ローマ12:9-15)
「愛する」ということは、決してこの世の悪と妥協するということではありません。
「この世と調子を合わせてはいけません(12:2新改訳)」と聖書は、教えています。
むしろ、「悪は憎み退けなさい」と教えているのです。神様を愛すれば愛するほど、
「この世の悪」に対しては、義憤というものが生じて当然です。「祈りの家」ととな
えられるべき神殿が、「強盗の巣」のように、商売をする場所に変えられてしまった
ことに対して、イエス様が激しい憤りを表わされたのも、この故であったのです。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/11 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
わたしはこう祈る。あなたがたの愛が、深い知識において、するどい感覚において、
いよいよ増し加わり、それによって、あなたがたが、何が重要であるかを判別すること
ができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり、イエス・
キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るように。
(ピリピ1:9-11)
わたしはこう考えます。神様が私たちの求めておられる「愛」には、「深い知識」と
「するどい感覚(識別力・見抜く力)」が必要であるということです。これらのものを
兼ね備えた上で、お一人お一人の主イエス様と兄弟姉妹に対する愛がますます、いよ
いよ増し加わり、それによって、みなさんが、真にすぐれたものを見分けることが
できるようになりますように。またみなさんが、キリストの日には純真で非難される
ところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者とな
り、神の御栄えと誉れが現わされますように、お祈り致します。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/12 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は
彼のうちにない。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、
父から出たものではなく、世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、
神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
(Tヨハネ2:15-17)
ヤコブ書(4:4)には、「不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、
知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである」という
厳しい御言葉があります。人間は、なぜ、死を恐れるのでしょうか。それはある意味におい
て、神様(または、神の国)よりも、「この世」を愛してしまうからではないでしょうか。
しかし、神様の恵みを知り、また、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだもので
あるかを知ったパウロは、その本音の部分でこのように、告白しています、「わたしの願い
を言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望まし
い(ピリピ1:23)」、「一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、
この方がはるかに望ましい(ピリピ1:23新共同訳)」と。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/13 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、
喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。
また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。高価な真珠一個を
見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。
(マタイ13:44-46)
永遠の滅びに向かっていた者が、永遠の祝福である「天国」の存在を知った喜びを
言葉で表現することはできません。そして、この天国への道であり、また、知恵と知
識との宝であるイエス・キリストに出会った時の喜びも、言葉では表現しきれません。
この喜びを知ったパウロは、その限られた言葉で、このように表現しています、「わ
たしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、
いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、
それらのものを、ふん土(または、ちりあくた)のように思っている(ピリピ3:8)」と。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/14 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
そこでイエスが言われた、「ある人が盛大な晩餐会を催して、大ぜいの人を招いた。
晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕を送って、『さあ、おいで
ください。もう準備ができましたから』と言わせた。・・・中略・・・
僕は帰ってきて、以上の事を主人に報告した。すると家の主人はおこって僕に言った、
『いますぐに、町の大通りや小道へ行って、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、
足の悪い人などを、ここへ連れてきなさい』。僕は言った、『ご主人様、仰せのとおりに
いたしましたが、まだ席がございます』。主人が僕に言った、『道やかきねのあたりに出て
行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい。
(ルカ14:16-17,21-23)
明日と明後日もベニー・ヒン神戸ミラクルラリーがワールド記念ホールで開催されます。
どうか、「道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理
やりにひっぱって」きて下さい。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/15 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと
思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、
それを見いだすであろう。
(マタイ16:24-25)
この御言葉は、決して、私たちに単なる重荷を与えようとして、イエス様が
語られた御言葉ではありません。そうではなく、日々自分の十字架を負い、
イエス様に従うことによって、私たちが真の命を得るためであり、主イエス・
キリストの清さと栄光にあずかる者となるためなのです。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/18 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしは
どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならないバプテスマがある。そ
して、それを受けてしまうまでは、わたしはどんなにか苦しい思いをすることであろう。
あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなた
がたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。というのは、今から後は、一家の
内で五人が相分れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、また父は子に、子は父に、
母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」。
(ルカ12:49-53)
まず第一に、みなさんと確認したいことは、この御言葉が「平和の君」であるイエス・
キリスト御自身が語られた御言葉であるということです。イエス様が、「わたしは、火を
地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願ってい
ることか。・・・あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思ってい
るのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である」と語られたのです。
イエス様は、なまぬるい信仰を喜ばれません。イエス様は、聖霊と火とによって私たちに
バプテスマをお授けになる(マタイ3:11,ルカ3:16)方であり、私たちが常に霊に燃えて、
主に仕えることを願っておられるのです。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/19 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚え
なければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、
あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。それで主はあなたを苦しめ、
あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、
あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばに
よって生きることをあなたに知らせるためであった。
(申命記8:2-3)
イスラエルの人々が、エジプトを脱出してから荒野をさまよった四十年は、彼らに
とって、とても長い年月でした。彼らは、その四十年間、主から多くの苦しみを受け、
試みを受け、飢えを経験させられ、訓練を受けねばならなかったのです。しかし、そこ
には、主なる神様の私たちに対する大きな目的があったのです。その目的とは、すなわ
ち、「人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きること
をあなた(そして、私たちに)に知らせるため」であったのです。そして、イエス様が、
荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた時、この御言葉に
よって、勝利を取られたのでした。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/20 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、
それほどに白くすることはできないくらいになった。すると、エリヤがモーセと共に
彼らに現れて、イエスと語り合っていた。・・・中略・・・
すると、雲がわき起って彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった、
「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。彼らは急いで見まわしたが、
もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた。
(マルコ9:2-4,7-8)
「これはわたしの愛する子である。これに聞け」、これは、まぎれもなく、天から出た、
父なる神様のみ声です。イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けた時にも、聖
霊がはとのような姿をとってイエス様の上に下り、その時も、天から、「あなたは
わたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」という声があったあります。旧約
聖書の律法を象徴するモーセと預言者を代表するエリヤにまみえることができたことは、
三人の弟子たちにとって、この上ない名誉なことであり、喜びでした。しかし、「これは
わたしの愛する子である。これに聞け」という声を聞いて、彼らが急いで見まわした時に
は、もはやだれも見えず、ただイエス様だけが、自分たちと一緒におられたということは、
意味深いことだと思います。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/21 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに
語られたが、この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御
子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。御子は神の
栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保ってお
られる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、
座につかれたのである。
(ヘブル1:1-3)
有史以来、神様は常に人との人格的交わりを求めて、人々に語りかけて下さいました。
預言者たちをとおして、また、いろいろな時に、いろいろな方法を用いて、主は語りかけ
て下さったのです。しかし、多くの人々は神様がつかわされた預言者を認めず、彼らを
つかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひとりを石で打ち殺してしまっ
たのでした。そこで、父なる神様は、「どうしようか。そうだ、わたしの愛子をつかわそ
う。これなら、たぶん敬ってくれるだろう」と考えたのですが、人々は、この神のひとり
子イエス様を認めずに刑に処し、また、なんら死に当る理由が見いだせなかったのに、ピ
ラトに強要してイエス様を殺してしまったのです。しかし、神様はこのイエス・キリスト
を死人の中から、よみがえらせて下さったのです。
ミッション・オリーブ 椙森
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敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、
やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。たといまた、わたしに預言をする力があり、あら
ゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし
愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、ま
た、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作
法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで
真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
(Tコリント13:1-7)
単なる「やかましい鐘や騒がしい鐃鉢」とならないために、また、「わたしは無に等しい」、
あるいは、「いっさいは無益である」と嘆くことのないように、私たちのうちに愛があるかを
自己吟味し、この「愛」をいつも、目標として、前進していけるように、上記の御言葉をもう
一度反芻させていただきましょう。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/25 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。
神がお移しになったので、彼は見えなくなった。
彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。
(ヘブル11:5)
人には、神様のなされるみわざを初めから終りまで見きわめることはできません。
肉親との別れ、その悲しみは、その当人でなければ理解することはできません。
エノクの親族にとっても、エノクとの別離は、耐え難いものであったと思います。
しかし、みなさんに知って欲しいことがあります。エノクは、神様とともに歩み、
神様が彼を取られたので、いなくなったということを。そして、彼は移される前に、
神様に喜ばれた者と、あかしされていたということを。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/26 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、
たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。
あなたはこれを信じるか」。マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世に
きたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
(ヨハネ11:25-27)
イエス・キリストは今日、あなたにも尋ねておられます、「わたしはよみがえりであり、
命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを
信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」と。あなたは、イエス様の
この問いかけに何と答えますか。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/27 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
イエスは涙を流された。(ヨハネ11:35)
" Jesus wept." 聖書の中で最も短い節がこの御言葉であると言われています。
イエス様が涙を流されたのは、決して、悲しみだけの涙ではなかったことを、
この前後を読むことによって知ることができます。どのような中にあっても、
イエス様の父なる神様に対する絶対的な信頼は、少しも揺るぐことがありま
せんでした。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/28 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
(マタイ5:4)
学生時代、始めてこの御言葉を読んだ時、その意味が分かりませんでした。
しかし、なぜか、これが真理であることが分かりました。まだ、二十歳でした
けれども、それまでの人生を振り返って、悲しい出来事の方が、ただ騒いで
笑いこけた出来事よりも、美しい思い出となっていることに気が付いたのです。
そして、その悲しみの中で、同じような悲しみの中にある人々を思いやる心が
芽生え出し、自分の受けた慰めによって、人々をも、慰めることができるよう
に、変えられていくのを見るからです。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/07/29 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、
いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を
弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがた
に命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、
いつもあなたがたと共にいるのである」。
(マタイ28:18-20)
私たちはなぜ、伝道するのでしょうか。第一に、それは、主のご命令だからです。
私たちは、洗礼を受ける時、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、
神が死人の中からイエス様をよみがえらせたと信じて、洗礼を受けたのです。「イエ
スは主」と告白するということは、イエス様を「主人」として受け入れることであり、
「私たちの生涯のすべては、イエス様のものである」と宣言することです。ですから、
伝道は、「気が向いたら、する、気が向かないなら、しない」というものではないの
です。私は、このような素晴らしい宣教の使命感を与えて下さった主に心から感謝し
ています。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/08/01 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ
伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、
新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。
病人に手をおけば、いやされる」。
(マルコ16:15-18)
イエス様が大宣教命令を与えられた「彼ら」とは、いったいどのような信仰の持ち主で
あったのでしょうか。この箇所の前(16:11-14)を読むと、「彼らは、・・信じなかった、・・
信じなかった、・・信じなかった」と繰り返し書かれているのです。そして、イエス様は、
「彼らの不信仰と、心のかたくななことをお責めになった」と記されているのです。その不
信仰な「彼ら」に向かって、イエス様は、「全世界に出て行って、すべての造られたものに
福音を宣べ伝えよ」と命じられたのです。そして、彼らが聖霊に満たされた後、一歩踏み出
して、福音を宣べ伝えていった時に、彼らの信仰は、飛躍的に成長していったのでした。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/08/02 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、
わたしもまたあなたがたをつかわす」。そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、
「聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆる
さずにおく罪は、そのまま残るであろう」。
(ヨハネ20:21-23)
「父がわたしをおつかわしになったように」、この御言葉を少し黙想していただきたいと
思います。父なる神様は、どのように御子イエス・キリストをつかわされたでしょうか。
四つの福音書すべてがそのことを事細かく記している訳ですが、それを要約している御言
葉として、次のように記しています、「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福
音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつか
わして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に
自由を得させ、主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。そのように、イエス様は、私たち
一人一人に聖霊の息を吹きかけて、「わたしもまたあなたがたをつかわす」と語っていて下さ
るのです。
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2006/08/03 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、
すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。
福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。
(Tコリント9:22-23)
「福音のために、わたしはどんな事でもする」、これは使徒パウロの信念です。また、
彼のすべての行動を決定する判断基準でした。そして、彼のこの生き様が、後のキリ
スト教会史にどれだけ大きな影響を与えたかは、みなさんはよくご存知です。そして、
彼のこの「福音のために、わたしはどんな事でもする」を模範とするならば、主は私
たちをも、主の栄光のために、豊かに用いて下さると信じます。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/08/04 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
使徒たちを呼び入れて、むち打ったのち、今後イエスの名によって語ることは相成らぬ
と言いわたして、ゆるしてやった。使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者と
されたことを喜びながら、議会から出てきた。そして、毎日、宮や家で、イエスがキリス
トであることを、引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。
(使徒行伝5:40-42)
当時の「むち打ち」の刑がどれほど残酷な拷問であったのか、現代の私たちには理解で
きません。使徒パウロも、クリスチャンになってから、「ユダヤ人から四十に一つ足りな
いむちを受けたことが五度(195回)、ローマ人にむちで打たれたことが三度(Uコリン
ト11:24-25)」あると告白しています。そのような苦しみの中で、彼らは信仰を放棄するど
ころか、彼らはますます聖霊の力に満たされ、「御名のために恥を加えられるに足る者とさ
れたことを喜びながら、議会から出てきた。そして、毎日、宮や家で、イエスがキリスト
であることを、引きつづき教えたり宣べ伝えたりした」というのです。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/08/05 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
「さあ、かわいている者はみな水にきたれ。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。
あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。なぜ、あなたがた
は、かてにもならぬもののために金を費し、飽きることもできぬもののために労するのか。
わたしによく聞き従え。そうすれば、良い物を食べることができ、最も豊かな食物で、
自分を楽しませることができる。耳を傾け、わたしにきて聞け。
そうすれば、あなたがたは生きることができる。
(イザヤ55:1-3a)
「買う」ということは普通、お金を出して買うことを意味しますが、このところで、主は、
不思議なことを語っておられます、すなわち、「金を出さずに、ただで・・買い求めよ、金
を出さずに、穀物を買って食べよ」と主は語っておられるのです。主が唯一、私たちに求め
ておられる代価は、御言葉に対する従順だけなのです。「わたしによく聞き従え。そうすれ
ば、良い物を食べることができ、最も豊かな食物で、自分を楽しませることができる。耳を
傾け、わたしにきて聞け。そうすれば、あなたがたは生きることができる」。
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2006/08/09 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、
刈り取ることになる。すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく
者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。わたしたちは、善を行うことに、うみ
疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。
(ガラテヤ6:7-9)
他の箇所を見ると「肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからで
ある。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである(ローマ8:5-6)」という
御言葉があります。時として、私たちの内側で、この肉の思いが霊の思いに対して戦いを挑
んでくるような時があります。しかし、私たちは、常にこのことを思い起こす必要がありま
す。すなわち、人をごまかすことができても、また、自分を偽ることができても、決して、
神様をごまかすことはできないということを。
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2006/08/10 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。
わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。
(ヨハネ6:63)
この御言葉は、イエス様がユダヤ人たちに対して、「よくよく言っておく。人の子の肉を
食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。わたしの肉を食べ、
わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるで
あろう。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食
べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。生ける父がわたしを
つかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによ
って生きるであろう。天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったような
ものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」と教えられた時に、彼
らが、その言葉の意味が分からず、つぶやいている様子を見て、イエス様が語られた「真理
の御言葉」です。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/08/11 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
イエスは言われた、「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは
適切な預言である、『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れて
いる。人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。あなたがたは、神の
いましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。また、言われた、「あなたがたは、
自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ。
(マルコ7:6-9)
イエス様の御言葉は、単に優しいだけのものではないことをここから学びたいと思います。
ご存知のように、イエス様がこの御言葉を語られたパリサイ人や律法学者は、決して聖書に
ついて無知であったわけではありません。しかし、「聖書の御言葉」と「人間の言葉やいまし
め」を同等に扱ったり、あるいは、人間のいましめや教えを「聖書の御言葉」よりも重視し、
それに固執する時に、私たちは間違いを犯してしまうのです。イエス様は、これを「偽善」
と呼び、厳しく批判していることに注目したいと思います。
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2006/08/12 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に
至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。聖書は、すべて神の霊感を
受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととの
えられた者になるのである。
(Uテモテ3:15-17)
あちらこちらで、キャンプ集会等が持たれ、大いに恵まれていることと思います。また、
そのような聖会等に参加できない方も、是非、少し涼しい場所を探して、心を静め、聖書
の御言葉に耳を傾ける時を持つことをお勧めします。なぜなら、聖書は、私たちを教え、
戒め、正しくし、義に導いてくれるだけではなく、それによって、私たち一人一人が、あ
らゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になることができ
ると聖書が保証しているのですから。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/08/15 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、
わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、
その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。これは、イエスを信じる人々が
受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を
受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。
(ヨハネ7:37-39)
エジプトの奴隷の家から導き出されたイスラエル人は、何回か飲む水が無くて、モ
ーセにつぶやいたことがありました。しかし、主はモーセに岩を示して、その岩から
水を出させて、何百万というイスラエル人の渇きを潤したことが記されています。使
徒パウロは、これを「みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊
の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない(Tコリント10:4)」と
解説しています。この岩なるイエス・キリストは今日、「だれでもかわく者は、わたし
のところにきて飲むがよい」と、あなたを招いておられるのです。
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2006/08/16 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければ
ならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者が
ひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、
世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
(ヨハネ3:14-17)
この前の章でイエス様は、水をぶどう酒に変え、ヨハネはこの奇跡について、「イエスは、
この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された」と記しました。そして、
その同じ2章の中で、イエス様は、ユダヤ人に対して、「この神殿をこわしたら、わたしは
三日のうちに、それを起すであろう」と語られました。イエス様は、その公生涯の初めから、
ご自分がこの世につかわされた目的を自覚し、決してカルバリの十字架から目を離すことな
く、その十字架を目指して、真っ直ぐに歩まれたのです。
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2006/08/17 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒の
ままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛する者はそ
れを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。もしわたし
に仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのお
る所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、
その人を父は重んじて下さるであろう。
(ヨハネ12:24-26)
日本のリバイバルを願う私たちにとって、自分一人の力がいったい何になるだろうかと落胆
しそうになることがあります。しかし、イエス様のこの御言葉は、そんな私たちに大きな励ま
しを与えてくれます。私たちの自己が本当に打ち砕かれて、肉の自我が死ぬ時に、神様は、そ
の人を豊かに用いることができるのです。リバイバルは、私たち一人一人の内側から始まるの
だということを、この御言葉から学ばせていただきたいと思います。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/08/18 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
兄弟たちよ。どうか、わたしにならう者となってほしい。また、あなたがたの模範にされ
ているわたしたちにならって歩く人たちに、目をとめなさい。わたしがそう言うのは、キリ
ストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしば
あなたがたに話したが、今また涙を流して語る。彼らの最後は滅びである。彼らの神はその
腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。
(ピリピ3:17-19)
この日本の国のクリスチャン人口は、未だに1%にも満たないというのが現状です。熱心
に福音を語っても、人々は耳を傾けようとしない、中には、福音を語ろうとすると激しく反
発してくる人々もいます。しかし、そのような人々のことを使徒パウロは思い、このように
告白しています、「今また涙を流して語る。彼らの最後は滅びである」と。そのことを思う
時に、私達もまた、どのような代価を払ってでも、忍耐をもって、主に信頼し、聖霊さまに
寄り頼みつつ、キリストの愛に満たされて、福音を語り続けることの重要性と必要性を覚え
るのです。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/08/19 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。互に
愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、
すべての者が認めるであろう」。
(ヨハネ13:34-35)
誠に勝手ながら、今週は椙森の夏季休暇の為、「御言葉の配信」をお休みさせ
ていただきます。今週一週間も、みなさんお一人お一人のたましいがいつも恵ま
れていると同じく、みなさんがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるよう
にと、祈らせていただきます。God bless You.
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/08/21 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
モーセは言った、「しかし、彼らはわたしを信ぜず、またわたしの声に聞き従わないで
言うでしょう、『主はあなたに現れなかった』と」。主は彼に言われた、「あなたの手にある
それは何か」。彼は言った、「つえです」。また言われた、「それを地に投げなさい」。彼がそ
れを地に投げると、へびになったので、モーセはその前から身を避けた。主はモーセに言わ
れた、「あなたの手を伸ばして、その尾を取りなさい。――そこで手を伸ばしてそれを取る
と、手のなかでつえとなった。
(出エジプト4:1-4)
主なる神様は、モーセに命じて、イスラエル人をエジプトの奴隷の家から導き出そうと
されました。それに対して、モーセは、いろいろな口実をつくって、その使命をのがれよ
うとします。そのモーセに対して、主は言われたのです、「あなたの手にあるそれは何か」
と。それに対して、モーセは答えます、「つえです」と。しかし、そのただの羊飼の「つ
え」が、命じられたとおりに、地に投げると、へびになったのです。そして、その「つえ」
をとおして、主なる神様は、様々なしるしと不思議を行い、紅海において、その水を二つに
分け、イスラエル人をエジプトの奴隷の家から導き出したのでした。そして、主は今、あな
たにも尋ねておられます、「あなたの手にあるそれは何か」と。
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2006/08/29 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。わが魂は言う、
「主はわたしの受くべき分である、それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。
主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。
主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。
(哀歌3:22-26)
「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しい」とありますが、そうです、神様は、昨日の食べ残し
ではなく、日々新しい恵みと祝福を注いでくださるのです。そして、この祝
福と恵みは、日々主との新鮮な深い交わりを求め、主に期待する人に注がれ
るのです。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/08/30 送信済み
敬愛する兄姉へ シャローム
今日の御言葉
昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。あなたは光と太陽とを設けられた。
あなたは地のもろもろの境を定め、夏と冬とを造られた。主よ、敵はあなたをあ
ざけり、愚かな民はあなたのみ名をののしります。この事を思い出してください。
どうかあなたのはとの魂を野の獣にわたさないでください。
貧しい者のいのちをとこしえに忘れないでください。
(詩篇74:16-19)
今日で8月も終わり、明日から9月。「楽しかった夏休みも終わり、明日から、
また、学校」。複雑な気持ちで今日を過ごしている方もおられると思います。この
詩篇の記者は、「昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。あなたは光と太陽と
を設けられた。あなたは地のもろもろの境を定め、夏と冬とを造られた」と宣言し
ています。私たちは、春夏秋冬、すべてのものを主が創造されたということを覚え
る時に、主に対する感謝が生まれ、また、たとえ今、困難な状況の中にあっても、
主に祈り求めるならば、主が必ず、最善を成してくださるという信仰が与えられる
のです。
ミッション・オリーブ 椙森
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2006/08/31 送信済み